霊魂学から見た宗教 18 宗教はなぜ腐敗するのですか?

Q1

宗教は最初はどんなに立派でも、時が経つと腐敗すると言われていますが、どうしてですか?

A1

腐敗の意味によります。
 

まず、世間の人達が言う腐敗は、二代目、三代目の教祖や幹部が私腹を肥やし、集金ばかりに夢中になり、理念とかけ離れた行動をしている、というような時に、腐敗した、と言うのです。
 

初代がどんなに立派でも、二代目、三代目になると、そうした事が起きやすくなります。

ですが、霊的な視点でいう腐敗は別です。
 

霊魂学的に言えば、正しい宗教は高級な幽気、あるいは高貴な霊気が降りる宗教です。

ですから、そうした幽気や霊気が降りなくなった時が、霊的な意味での腐敗になります。

動画「宗教Q&A – 霊的に正しい宗教の見分け方 -」をご覧ください。
 

極端に言えば、幹部達がどれだけ自分の私腹を肥やす事に奔走していても、宗教本来の霊的な目的からずれていなければ、腐敗とは言えません。

私腹を肥やす事は善い事ではありませんが、それ以上に、宗教本来の霊的な価値がなくては意味がありません。
 

世間で言う腐敗は、霊魂や神の実在を考えていませんので、腐敗といっても、この世の問題だけを言うのです。

 

Q2

私腹しか考えない幹部のいる宗教に、高級な幽気が降りますか?

A2

人数によります。
 

教祖や幹部が全員、そうした人であれば、高級な幽気は降りません。

ですが、一人や二人、道を外す人がいても、それで高級な幽気が降りない、というものではありません。
 

人間には欲望があります。ですから、教師でも警察官でも道を外す人はいます。ですが、だからといって警察がなくては困ります。
 

宗教団体に道を外す人が出たとすれば、一刻も早く、軌道修正すれば良いのです。
 

そうした事よりも大切なのは、霊気な面です。

ですが、この世の人は霊的な事が分かりません。そうであれば、せめて、開祖に立ち返る事を忘れてはいけません。

 

Q3

宗教は開祖と離れてしまう事があるのですか?

A3

よくあります。
 

キリスト教であれ、仏教であれ、宗教経典に開祖の姿は発見できません。

ですから、いろいろな宗派ができてしまいます。経典の解釈が違うからです。

いろいろな解釈ができるので、宗派が増えるのです。
 

例えば、仏教の場合は、物凄く多くの経典があります。

それらは実際には、お釈迦様の説ではない、という学者さんがいます。

原始仏典以外は、お釈迦様が亡くなってから、仏教学者が作ったものだ、という説です。

一方で、お釈迦様は多くの説教をしたけれども、最後に説かれた経典が一番だ、と言って譲らない人もいます。
 

お釈迦様は死後の世界を説かなかった、という学者もいれば、そうではない、という学者もいます。
 

どうしてこんなに説が違ってしまうのでしょうか?
 

それは、お釈迦様が自分で書いた経典ではないからです。

お釈迦様がこうおっしゃった、私はこう聞いた、という言葉で始まるのが仏典だからなのです。
 

お釈迦様が自分で書いていないのだから、弟子が正しく理解した、という保証すらありません。何しろ、その当時の一般の人は文字を使用していない、という説もあります。
 

そうなると、どこまでがお釈迦様の説なのか、まるで分かりません。

弟子によっては勘違いして覚えた人もいるでしょう。
 

経典の数が多ければ多いほど、いろいろな人がいろいろな事を言い出します。

小乗はレベルが低く大乗が高いとか、大乗はお釈迦様の説ではないから信じてはいけないとか、どれを信じて良いのかさっぱり分かりません。
 

一方で、修行を説きながら、別の経典では、アミダブツと唱えれば救われる、と説きます。

普通に考えれば、別の宗教です。
 

時間が経つと、真実が分からないので、いろいろな解釈が出てしまうのです。
 

キリスト教でも同じです。

新約聖書の福音書はイエス師が書いたものではありません。

イエス師が亡くなられて数十年も経ってから、弟子によって成立しています。

どの程度、正確なのか、はっきりしません。弟子が大袈裟に書いたのかもしれないのです。

奇跡の話が全て本当とは思えません。
 

更には、聖書と呼ばれたものは他にもあるそうです。そうした中で振り落とされたものの中に、本当の事が書かれていた可能性も、ないとはいえません。
 

いずれにしても、昔の事ははっきりとは分かりません。
 

結局、開祖の書いた本ではない事が問題なのです。

開祖に帰ろうとしても、開祖の真意は何だったのか、偉い聖職者であっても、決して分からないのです。

 

Q4

宗教の腐敗を防ぐ為には、開祖の言葉や文字を残すべきですね。

A4

そうです。

ですが、それでも問題が起きます。教えを主体とした宗教は、時代に合わなくなる時が来るからです。

そうなると、開祖に従うのか、新しい時代に合わせるのか、幹部達が対立してしまうのです。

 

Q5

契山館はどうですか?

A5

契山館は教えは説きません。

霊魂学は教えではありません。

契山館は神伝の法と呼ばれる霊的修行法の会です。
 

宗教を外から見て批判するのは簡単です。

ですが、宗教であっても人間の集団です。

人間には欠点もミスもあります。

それを前提とした上で、より良い集団を作る努力が必要なようです。
 

誰であっても欲望があります。

あの人よりも上の立場になりたいとか、負けたくないとか、そうした意識があると、無意識的にライバルの足を引っ張ってしまう、そうした人もいると思います。
 

そうした事は正しい事ではありません。

ですが、人間はそうした面も持っています。
 

人間の集団は、どんな集団であっても、一人一人が反省しながら、高貴なる存在の方向を向いて一歩一歩、前進するしかないように思えます。

 

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