水波霊魂学によるコメント 54 仏像に魂を入れる

 

 仏像を造ると、魂を入れる、という儀式が行なわれるそうである。
 造っただけでは、どんなに立派にできても、ただの物だからである。

 

 しかし、魂を入れる、という事が問題になる。
 第一、木や金属の像の中に魂が入るという事があり得るのであろうか?
 あるはずがない。
 物に魂は入らない。

 

 では、魂を入れたとされる仏像でも、ただの物なのであろうか?

 実は、ただの物ではない。
 なぜならば、儀式を行なった僧侶や出席者の念がそこに集中するからである。
 実は、制作者の念も付いている。
 その後、信者が拝むようになれば、信者達の念も付く。

 

 付くといっても、念は幽質なので、その辺りにあるだけなのであるが、とにかく念がそこにある。
 そうなると、霊魂の目にも入る。

 霊魂の目に入れば、それは霊的な物品になっている。
 霊魂が人間の念を利用して何かしたり、霊魂の幽体に付いている幽気を仏像に付けたりするからである。
 幽気はなかなか物品には付かないらしいが、仏像は動かないので、その辺りにとどまるらしく、仏像に幽気が付いている、と言っても良いような状態になるらしい。

 

 そうなると、問題は仏像に付いた幽気の性質である。
 この性質が高級であれば、高級霊魂の視界にも入り得る。
 逆であれば、下の世界の霊魂の視界に入る。

 

 結局、僧侶や信者の幽体の性質が決め手になるのである。
 魂を入れたとする僧侶の幽体の性質が高ければ、念の性質も高く、低ければ、念の性質も低い。
 拝む信者達の幽体から出る念の性質も影響する。

 

 現代の場合は、もちろん、全てにおいて低い。

 

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