Q
宗教はなぜ「自分が一番」と言うのですか?
A
そうでなければ、宗教を立てる意味がないからです。
新しい宗教を作る人、宗教的な主張をする人は、皆、これを世に出す事が人々のためになると思うから、宗教を作ります。
つまり、これまでの宗教では駄目だ、あるいは不十分なところがある、と思うから新しい主張をする訳です。
自分の主張が二番であれば、一番の宗教を信じた方が良いことになります。
これまでの宗教にない部分を示したいから新しい宗教を作ります。
ですから、一番だと信じているのです。
実際に一番なのかどうかはともかくとして、本人は一番だと思っているから布教するのです。
Q
具体的に教えてください。
A
例えば、イエスです。イエスはそれまでのユダヤ教の宗教家を強く批判しました。
このままではいけない、という強い思いがあったからです。
その結果、磔にされたと言われています。
つまり、それまでの宗教の間違いを指摘して、自分の主張が正しいと主張した訳ですから、否定された側から見れば、自分が一番だと思っている思い上がった者なのです。
釈迦もそれまでのカースト制度を否定して平等を唱えています。
当然、反発もあったでしょう。
自分が新しく悟ったことを主張し布教しました。
ですから、一番正しい悟りだと自覚していたはずです。
日本の宗教でも同じです。
親鸞はそれまでの自力修行では、庶民はついていけず救われない、と感じました。
だからこそ、他力本願を唱え布教しました。
日蓮も他の誰よりも自分が正しいと思うから真剣に布教したのです。
親鸞も、日蓮も、島流しにされても信念を曲げませんでした。
明治の頃に流行った教派神道も、教祖が神様のお告げを受けたから、何が何でも人々に広めたいと思ったはずです。
その時点で、最も人々に知らせるべき信仰であると信じていたはずです。
神社神道は少し違いますが、それ以外の宗教は、新しく立てる場合、基本的には、今一番世の中に必要な信仰だと信じて活動するのです。
Q
では、自分が一番ではない、と言うのは、むしろ不思議なのですね。
A
そうした人達の場合は、神様は大勢いらっしゃるので、私はこの神様が良いと思います、というような信仰ではないかと思います。
あるいは、仏教ではありますが、いろいろな考えがあって良いので、その一つを示します、というような形態であれば、一番である必要はありません。

