Q 霊的修行法とは何ですか?
A 霊的な面が重要な修行法です。
修行法といっても、霊的な修行法と、そうでない修行法があります。
明確な定義がありませんので、こちらでは、こちらの定義で説明します。
修行と言えば、一般に知られているのは座禅とか、山岳修行です。深山幽谷を歩いたり、滝に打たれたりします。
日本にはまだ、他にも古くから伝わる修行法があります。
こうした修行法は一つ一つ目的が違います。
例えば、昔の修験道の修行者は、神通力(今で言う霊能力)を求めて修行した人が大勢いました。
真言宗の僧侶は即身成仏といって、生きている状態で仏になる、という高度な目標を持っていました。
ですから、そうした人達の修行は、基本的に神様や仏様が実在している、という前提で行なわれていました。こうした修行法は霊的な修行法と言えると思われます。
ですが、座禅は少し違います。仏は信じるとしても、基本的に霊的ではありません。
霊魂は実在しないので、座禅の最中に神秘的な存在が現れても、それは心の中で切るべき対象になります。
悟り、という心理的な究極を求めていて、霊的な目的ではありません。
瞑想も修行法です。
元々、インドのヨーガの修行法ですから、神と合一するといった、高度な目的を持っています。
ですが、最近、世間で流行っている瞑想は心身のリラックスを目的とする、というような心理的な瞑想ですので、霊的な修行法とは言えません。
中国の仙道については、不老不死を目指しており、気を語りますが、霊的と言えるのかどうかというと、どちらとも言いにくいような気がします。
霊的修行法は、どれが霊的で、どれが霊的でないのか、それは定義次第のように思えます。
Q では、水波霊魂学で言う霊的修行法は何になりますか?
A 修験道や密教、古神道等、座禅を除く日本の修行は、おおむね、霊的です。
インドのヨーガに関しては、神を求めますが、霊魂は無視されるのが普通です。
信仰心が強い人達が瞑想してきた歴史がありますから、広い意味では霊的修行法と言えると思えます。
仙道については、気という神秘的なものを扱いますので、やはり、広い意味で霊的修行法だと言えそうです。
Q では、現代人が行なう瞑想や座禅を除けば、有名な修行法はおおむね霊的修行法と言えますね?
A そうです。
ただし、現代はいろいろとスピリチュアルな修行を行なっている、という話も聞いていますので、そうしたものも含める必要があると思えます。
Q では、現代人に効果がある、あるいは価値がある霊的修行法はありますか?
A 神伝の法です。
富士の神とその部下の高貴な霊魂が示された特別な霊的修行法です。
これが一番、価値が高いと思っています。
Q 他はどうですか?
A 残念ながら、他は評価できません。
心身のリラックスが目標では、霊的な成果はありません。
不老不死が目標でも、やはり同じです。
神人合一や即身成仏は不可能です。
人は肉体を持っています。肉体の性質を持っていては、神にも、仏にも、なれません。
肉体の脳を使用している心がいくら成長しても、それは物質の限界を持っています。霊的な身体を高度に成長させた霊的存在とは、比べる対象になりません。
この世の人間は肉体の脳の機能から一歩も出られないのですから、神人合一も、即身成仏も、ただの妄想です。
霊的な身体の意識まで追究する必要があります。
また、現代は霊的な環境が悪いので、これまでの修行法では、本当の意味で霊的な成果を出す事はできません。
神通力を求めても、邪悪な霊魂による神通力しか得られません。
肉体を苦しめても、幽体や霊体は成長しません。
古神道系列の修行法も同じです。
禊といって、気合いをかけているようでは、霊的に高度な禊にはなりません。
鎮魂法も、高級霊魂からどのように見えるのか、そうした事を知らないと真の成果は出ません。
動画「禊に関するQ&A - 霊的な禊、本当の禊とは? -」をご覧ください。
現代人が置かれている環境を頭に入れて、修行法の中身を作り変えなければなりません。
Q 神伝の法が一番、高度な霊的修行ですね?
A もちろんです。