心 7 無私の愛

Q1

無私の愛とはどんな愛ですか?

A1

物質の世界に無私の愛は存在できません。

 

Q2

どうしてですか?

A2

生きられないからです。

例えば、本当に無私の愛と言えるような深い愛を持った人が現れたとします。

その人が歩道を歩きました。

誰かと待ち合わせをしていたとします。

 

交差点の横断歩道の前で信号待ちをしていたら、ゴミを見つけました。それを拾いました。

そこに重たい荷物を持った老人が歩いて来ました。

愛の人は老人の荷物を持ってあげました。

横断歩道を渡ったら、泣いている子を見掛けました。同級生と思える子供から意地悪されているようでした。

愛の人は放ってはおけません。

子供達を説得していたら時間が経ちました。

 

待ち合わせの時間に遅れました。

相手の人は大事な取引先でした。

会社に帰って叱られました。

 

こんな事が何度かありました。

無私の愛を持つ人は会社を首になりました。

 

生活できなくなりました。

 

食べる物がなくなりました。

そんな時、ダンボールで寝ている人が、お腹を空かせているのを見掛けました。

無私の愛の人はその人を放ってはおけません。

 

パンを買うお金を渡しました。

そして、無私の愛を持つ人は、しばらくして飢え死にしました。

これでは何にもなりません。

 

ですから、無私の愛とは言っても、どこかで妥協しなくては生きられないのです。

どこかで見て見ぬふりをしなければ、生きられないのです。

 

そうなると、いつも、何が良いかを判断しなければなりません。

誰かが苦しんでいても、状況判断して無視する事が必要になるのです。

 

私達から見れば、そうした人は別に無私ではないのです。

なぜならば、自分が生きる事を先に考えて生きるからです。

そうでなければ、世の中の役に立つ年齢になるまで、生きられないからです。

 

無私と簡単に言ってはいけません。

できる限りの愛と言いましょう。

 

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