Q1
人々が愛に目覚めたりして、心が変わる事が大切だと言っている予言もあります。
対策になりますか?
A1
なりません。
愛という教えはイエス師の時代から説かれています。ですが、人々は戦争をやめません。それどころか、当のキリスト教会が率先して戦争を起こしています。
愛は大切です。ですが、それだけを叫んでも未来は変わらないのです。
Q2
どうしてですか?
A2
愛が大切という教えが必要なのは、人々に愛がないからです。愛に溢れている人ばかりであれば、そうした教えは要らないのです。
つまり、人は基本的には愛の心が小さい生き物なのです。
なぜなのでしょうか。
それは、人に欲があるからです。愛よりも欲が勝るからです。
現代人は小さい時から勉強やスポーツで競争しています。大人になると、勝ち組と負け組に分かれてしまいます。
自分の実力で勝ったのですから、裕福になって当然だと思ってしまいます。
負け組みは自己嫌悪になったり、勝ち組みを恨んだり、更には、人生を諦める人もいます。
ですが、現実は複雑です。
実力は変わらなくても、定員が決まっていれば、誰かが合格して、同程度の誰かは落ちます。
コンテストでは、たまたま、審査員が知り合いだったので合格する人もいます。
勉強では、親がお金持ちの子供は塾に通えますが、貧乏な子供は家の手伝いをするしかありません。
競争社会であっても、条件が公平でははないのです。
ですから、実力以外の要素もかなりあるのです。
それでも、人は優越感と劣等感に至るのです。
理不尽なリストラに遭う人もいれば、騙されて財産を失う人もいます。
人にはいろいろな事情があります。
社会は決して公平ではありません。ですから、弱者に対する保護も必要なのです。
ですが、自分の実力で勝ち取った立派な住宅を、住む場所のない人に譲る人はまずいません。もしも人の心が愛で満ちていたら、そうした事をする人も大勢いるはずです。
現実は違います。
隣の子がかわいそうに思えても、自分の子のオモチャを与える親はなかなかいません。
人々の愛はその程度なのです。
では、どうして愛が小さいのでしょうか?
それは、欲があるからなのです。
肉体を持っている限り、食べなければなりません。
食べる為には、働かなくてはいけません。
自分と家族の食欲が最優先なのです。
その上、人には家が要ります。そして、着る物も要ります。
それを得る為には、必死になるしかないのです。
それだけならばまだ良いのです。他の動物も同じだからです。生きる為だからです。
ところが人間は違います。
食欲や性欲だけではないのです。
自分を認めて欲しいとか、出世したいとか、誰かに負けたくない、贅沢したい、というような精神的な欲望があるのです。
自分の子は隣の子に負けてはいけないのです。
隣が自動車を買ったら、どうしても我が家も自動車を買いたくなるのです。
こうした欲がある為に、愛は二の次になるのです。
自分と自分の家族の欲が満たされて初めて、他の人に援助できるのです。他の人の為に、自分の子供が犠牲になってはならないのです。
かわいそうな人に、自宅の一室を提供した為に、大事な息子の勉強部屋がなくなる事は、絶対にあってはならないのです。
つまり、人は欲が最優先なのです。
欲がある限り、いくら愛を説いても、結局、大きな変化にはならないのです。
Q3
では、人々が心を変えれば人類は救われる、という予言は間違いですか?
A3
間違いです。
そうした予言は人間を理解していません。