魚はこの世では、ほとんどの場合は、より大きな魚に食べられてしまう。
魚の世界も弱肉強食である。
これは仕方がない。お互い様だからである。
霊魂の世界に入ると、そんな心配はなくなる。
ただし、違いが一つある。川や海がなくても生きられるという点である。
この世で川や海を泳いでいた魚にとっては、最初はびっくりする事になる。
しかし、それもすぐに慣れる。何しろ、水がなくても生きられるし、食べなくても生きられる。念の力で移動できるからである。
やがて、怖いものはなくなる。
ただし、人間を除いての話である。
この世にいる時、魚にとって人間は天敵である。しかし、それは仕方がない。食べる為である事は、皆、知っている。
漁業でなく、レジャーでの釣りであっても、魚はつかまれば、終わりである。これはどうにもならない事である。
問題は霊魂の世界での人間との関係である。
霊魂の世界では食べない。そうなると、漁業をする霊魂は、まずいない。
ただし、レジャーとして釣りをする人間はいる。
しかし、それは魚にとっては怖い事ではないらしい。なぜならば、食べられる心配がないからである。
霊魂の世界では釣針を作る事はできるが、餌を付けていても魚は食べない。
よって、釣りは成立しないのである。
人間は幽質を変化させて、海や川を作り、生きていない魚を念で作り出して釣りをしている。その魚は生きていないので、単なるゲームである。
そのうち、飽きたらやめてしまう。
よって、魚は釣人が怖くないらしい。
ただし、時々、例外がいる。生き物を見つけては念で痛め付ける人間がいる。
動物であれ、魚であれ、生き物を見つけると、念で痛め付ける事が楽しみの人間がいるのである。
こうした人間になってはいけない。