神霊は目に見えない。どこにいらっしゃるのかも分からない。
そうなると、どこに向かって祈れば良いのかすら分からない。
そんな時、古代の人達は太陽が目に入ったのであろう。
太陽はいつもこの世を照らしている。
この世にいる人間にとって、神霊は見えないが、太陽は見える。
どこに居ても見える。
太陽に神霊が来てくだされば、祈りが届くかもしれない。
古代の人達は霊的な感性があった。
現代の人とは違って難しい学問は知らない。
直感こそが頼りなのであった。
実は、人間という生命は、幽体という霊的な身体と、肉体が重なっているのであった。
更には、重なってはいないが、霊体という霊的身体も持っていた。
幽体や霊体は霊的次元の身体なので、肉体の脳と違って、神霊を求めるのであった。
世界中の太陽信仰の人達が、太陽に向かって強い思いを発する時、それは念となって太陽に向かって行った。
その思いを霊魂達が理解したのである。
人々の思いは神霊には届かなくても、霊魂には届いていた。
霊魂も幽体や身体を持っているからである。
信仰者の強い思いは幽体からの念となって飛んでいた。その為に、幽体の存在である霊魂には届き得たのである。
太陽信仰は霊魂との接点を作っていたのである。

