【死後の世界の上下】

 

1 魂(たましい)

 もう少し詳しく説明します。少しだけ専門的になります。

 

 魂とは何でしょうか?

 実はこれが大きな問題なのです。
 霊魂や神を信じる人達は、魂は死後も消えず、死後の世界に行くと考えています。逆に、信じない人達は、死後も存在する魂などない、と考えているのです。

 

 脳科学の発展で、人間の心は脳が作り出した、と言われるようになりました。
 つまり、脳が死ぬと、心とか意識とかも死ぬので、人は死後の世界には行かない、という事になるのです。

 

 私達が今生きている物質の世界の他にも、次元の異なる世界が存在するかもしれません。たとえ、そうであったとしても、脳が死ぬと意識が消えて全てがなくなるのであれば、別の世界があっても意味がない、という事になるのでしょう。

 

 しかし、現実は複雑です。
 量子力学の登場で科学の分野が複雑になりました。
 意識は素粒子という小さい小さい物質で出来ていて、脳とは独立している、という説もあるそうです。
 そうなると、脳が死んでも意識は消えず、死は終わりではない、という事になってしまいます。

 

 科学は日々発展しているようです。

 

 ですが、私達はもっと違う事を考えるべきなのです。
 そもそも、魂は物質なのかどうかです。
 素粒子であっても、しょせんは物質です。もしかしたら、魂は物質とは別の次元の存在かもしれないのです。
 そうであれば、物質の脳が消えても、無関係に魂は生き残ります。量子力学の人達が意識は死後どこに行く、と言っても無関係です。本当の魂は別に存在している、という事になるからです。

 

 魂が物質ではない場合は、現代の科学がどんなに進歩しても、当分、魂の真実を見つけることはない、という事になります。
 科学はまだ物質学にすぎないからです。

 

 そうであれば、科学で魂を証明できる事はありません。しかし、あるものはあり、ないものはなく、真実は一つなのです。

 

 それを見つける方法は一つしかありません。

 
 結局、霊魂に聞くしかないのです。

 

2 人間の魂

 死後の世界や霊魂を信じない人達にとっては、未知の世界の探求はストップします。知る手立てがないからです。

 

 しかし、信じる、あるいは、あるかもしれない、と思う人達には手段が残されています。高度な霊媒現象を起こせば良いからです。

 

 霊媒現象は少なくとも、霊媒本人と身近な関係者には、霊魂の存在を確信させてくれるのです。

 
 動画 「霊魂Q&A - どうして霊魂の存在を信じられるのですか? -」 をご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=OKpbn-g93Z0

 

 本物の霊媒現象による自動書記で、様々な情報がもたらされました。

 

 ここからは、ある霊魂の説明です。

 

 「人間の魂はこの世では生まれません。物質がどう変化しても物質しか生まないからです。そして、魂は物質ではないからです。
 魂は霊魂の世界、つまり、死後の世界からやって来るのです。だからこそ、死後は霊魂の世界に戻るのです。

 

 この世を中心にしてあの世を考えるから間違えるのです。
 人間の魂は、あの世からこの世にやって来たのです。
 この世が先に出来て人間が誕生し、霊魂の世界が後に出来たのであれば、最初の人間に魂はありません。魂は物質界では生まれないからです。
 ですから、そうした考えは間違いです。

 

 という事は、霊魂の世界に魂があり、その魂がこの世に下りて来たのです。
 だからこそ、死後の世界に行けるのです。
 つまり、魂がこの世の新しい肉体に入るのです。その時、魂は大人の意識です。霊魂の世界では大人だったからです。ですが、新しい生命の脳はまだ未成長で、それを表現できません。
 ですから、肉的な心が誕生してしまい、本能のままに生きるのです。
 それを見ているしかない魂がいるのです。

 

 ここから先は霊魂学の用語で説明しなくてはなりません。」

 

 ここからは少し細かくなります。

 

 実際には、水波霊魂学で言う幽体が胎児の肉体と重なるのです。実際の魂はもっと複雑です。

 

 これにつきましても、動画をご覧ください。
 「水波霊魂学へのQ&A - 魂って何? 再生の真実とは? – 」
https://www.youtube.com/watch?v=2JRMBhXcYWw

 

 要するに、人間の本質である魂は肉体の脳によって生じる心ではないのです。自分の心の奥に本当の自分がいるのです。
 その本当の自分は水波霊魂学で言う幽質界から来ました。
 幽体という身体で意識活動をしていたのです。
 幽体という身体は意識そのものです。

 

 幽質の世界は食べたり飲んだりしません。引力に支配されませんから、念の力だけで移動できます。
 肉体の機能は不要になるのです。
 ですから、死後、肉体が消えて幽体で生きるようになってからは、時が流れると臓器や筋肉などが消えてしまい、意識を表現するだけの身体になります。それが幽体なのです。
 ですから、幽質界の幽体がこの世の小さな肉体と重なるという事は、意識がこの世に下りるという事でもあるのです。
 実際には、幽体の一部なのですが、ここでは難しい話は省略します。

 

 要するに、死後、死後の世界で時間が経過した霊魂の場合は、実質的には、魂イコール幽体なのです。
 幽体の成長が魂の成長にも繋がるのです。

 

3 幽体の性質

 幽体が成長しなければ魂は成長しません。
 それは、当然です。

 

 この世の人間の心は肉体の誕生によって生じた本能の塊です。
 本来の意識は心の奥にあります。
 心はこの世を生きて成長し、様々な事を学びます。辛い思いもします。時には怒り、時には泣きます。
 嬉しい時もあります。笑う事もあります。

 

 ですが、それは、表面的な心理の変化にすぎません。本当の自分は何も変わっていません。
 ですから、この世で魂が進歩する事も、退歩する事も普通はないのです。

 

 霊魂を信じる人達の中には、人がこの世に誕生すると魂が肉体に入り、出産の衝撃でそれまでの事を忘れてしまう、と主張する人達がいるようです。
 ですが、そんな事は有り得ません。
 それまでの事を忘れても、その記憶は大人の意識としての記憶です。大人が記憶喪失になっても、赤ちゃんの心理にはなりません。

 

 ですから、忘れたとか、記憶が消えたとかではないのです。
 赤ちゃんの脳の機能に相応しい心理が新しく登場したのです。
 本当の自分は大人の意識なのです。
 ですから、この世に生まれた心理は、自分の表面の心理ではあるけれども、自分の本質ではないのです。
 球技の球に例えれば、表面の皮が肉体の脳に縛られる自分で、内部が幽質界から来た自分なのです。
 表面と内部が一緒になって球が出来ているのです。

 

 水波霊魂学は難しいので、この説明はこの程度にします。

 

 やがて、他界します。肉体の機能が停止して幽体が肉体から離れます。そして、また、幽質界に戻るのです。

 

 ここで問題になるのが、幽体の性質なのです。
 幽体は身体です。ですから、適応しない世界では生きられません。肉体が海の中で生きられないのと同じです。

 

 幽質の世界は広大です。
 幽質の世界は物質の世界ができる前からありました。物質の世界よりもはるかに大きいのです。いろいろな性質の幽質があります。

 

 ですから、他界した人の幽体の性質に一番適した所が、その人の死後の行き先になるのです。
 自分の幽体の性質に適応している世界であれば、そこにある幽気という霊的な気も適しています。
 幽気は幽体の栄養なので、自分の幽体に適応している方が暮しやすいのです。
 幽体は幽質でできています。その幽質が汚く感じると、耐えられません。また、逆に、幽質の性質が良くて綺麗すぎても、馴染めないのです。周囲の光景が眩しすぎるように感じるのです。

 

 ですから、この世で死んだ時に、幽体が穢れていると、幽質の性質が低い所に適応するのです。つまり、下の世界でしか生活できず、性質が高いと、上の世界での生活が適するのです。

 

4 死後に入る世界

 幽体の性質で死後に入る世界が決まります。

 

 この世にいた時に心が綺麗でも、汚くても関係ありません。
 心は、肉体の脳の機能によって限定されていた心理にすぎず、自分の本質ではないのです。
 人間という魂にとって、肉体の機能や本能によって生じる欲望や心理は本質ではありません。
 それは、肉体という衣服の特性にすぎません。
 それによって、生じた心理の性質と死後に入る幽質界は何の関係もありません。

 

 この世でした行為も同じです。
 肉体が生きる為に食事をします。それは、仕方がありません。それによって動物や植物を殺してしまいます。生殖して、子供を育てます。子供を守る為には、外敵とも戦います。
 社会を作って、秩序を保とうとします。そうしないと生きにくいからです。
 それは、基本的には自己保存です。
 自分達の社会を守る為にすぎません。

 

 そうした社会の中で、善い事をしても、悪い事をしても、社会にとって、人間にとって良い事であっても、幽体の性質や魂とは直接的には関係ありません。
 肉体の脳によって縛られた心がどんな事をしようと、魂の本質を変える事はできません。
 幽体の性質を上げることもないのです。
 誰かの命を助けたとしても、助けられた人も、助けた人も、魂や幽体の性質は変化しません。霊的には何も変わらないのです。

 

 ただ、あくまでも直接的には、無関係です。
 実際には、幽体も、魂も、良い状態にはなりませんが、悪くはなります。
 念を受けるからです。

 

 人が嫌がる事をすれば、強い怒りの念を受ける事があります。
 念は肉体には影響しません。ですが、幽体には影響を与えるのです。
 強い念を受けると、幽体に穴があく事すらあります。
 穴があいたら、大変です。幽体の活力が低下して、上の世界には入れなくなってしまいます。

 

 つまり、心の善し悪しも、行動の善し悪しも、死後に入る世界を決める基準にはなりません。
 ですが、それによって、幽体が不調になったりすると、下の世界にしか入れなくなることがあるのです。

 

 つまり、幽体を穢さない、傷つけない、これが、下の世界に入らなくても済む条件なのです。

 

5 勘違い

 死後の世界を信じる多くの人達は、死後の世界はこの世にいた時の行ないの善し悪しで決まる、と思っています。
 ですが、そんな事は有り得ません。
 善いとか、悪いとかは、人間が勝手に決めて判断している事だからです。

 

 実は、どんなに善い事をしても、それは、この世だけに通じる事なのです。
 第一、人の命を助けてすら、霊魂の世界では褒められはしません。何しろ霊魂の世界から見れば、この世の生命はそのうち死んで移動するのが当たり前だからです。少し早くても、遅くても、大した事ではないのです。
 ただし、高級霊魂は人間を心配します。人は死を怖がります。それを良く知っています。また、親は子が死ぬと悲しみます。それも知っています。ですから、大変な事だと考えます。
 それは、その人がかわいそうだからです。ですが、その事と死後に入る世界とは直接的な関係はありません。

 

 善悪はこの世の人達が作った基準です。その中でどんな風に生きようと、それは自由なのです。本来は霊魂が干渉するべき問題ではないのです。

 

 そうは言っても、愛する子が殺されてはかわいそうです。何とかしてあげたいと願うのは、人間も、霊魂も、同じなのです。

 

 高級霊魂の心情はともかく、善い事をしても、悪い事をしても、死後に入る世界とは基本的に関係ありません。

 

 ですが、悪い事をして、相手から恨まれ、攻撃的で強い念を出されると、幽体が傷つき、下の世界に落ちる、という事はあるのです。
 ですから、人に恨まれるような事をすれば、下に落ちやすいのは確かなのです。

 

6 幽体の不調

 幽体は本来、幽質界で生きる為の身体です。
 ですが、この世に人間が生まれると、この世に下りてきます。
 ですから、幽体は肉体と重なっています。
 そうなると、事情は変わります。
 幽質界にいた時の幽体は自在でした。活動しやすい世界だからです。
 ですが、この世に生まれると、そうは行きません。この世は物質の世界ですから、物質の肉体が主人公になります。肉体が動けば、重なっている幽体も動きます。つまり、幽体には自由がないのです。

 

 幽質界では違います。幽質は基本的にどのような形にも変化しえます。ですから、幽体はどんな風にも変化できるのです。傷ついても、しばらくすると、元に戻るのです。

 

 ところが、この世の幽体は別です。肉体と重なっています。肉体が大きくなると、一緒に大きくなります。肉体が切れると、切れます。
 一切の自由はないのです。
 そうした身体は活力が低下します。幽質界にいた時のように自在ではないからです。幽体の栄養である幽気も簡単には吸えないようです。
 そんな幽体が念で傷つきました。肉体は無傷です。肉体と重なっていますから、本来であれば傷は消えるのです。
 ですが、活力が低下しています。元に戻りきれない場合があるのです。

 

 要するに、この世の人間の幽体は幽質界にいた頃よりも弱いのです。
 念に対する抵抗力も小さくなり、元に戻ろうとする力も弱いのです。

 

 そうなると、多少の念であれば傷は付かなくても、呪いのような強い念を受けると、そのまま傷が消えないで残る人が出るのです。

 

 こうした幽体は活力が低下していますから、上の世界の幽質には適応できません。性質が低くなっているのでしょう。

 

 しかし、心配はいりません。幽質界は広大です。そうした幽体が適応できる世界もたくさんあるのです。
 そうした世界に入れば、幽体は元気になります。
 そうした幽体が過ごしやすい世界に入れば、幽体は活力を取り戻し、傷が元に戻る幽体になるのです。
 ですが、傷は元に戻っても、上の世界には入れないようです。

 ですから、下の世界といっても悪人ばかりが入る訳ではないのです。

 
 たまたま、誤解されて逆恨みされたという人でも、下の世界に入るのです。
 下といっても物理的な下ではありません。そこは、悪い霊魂の為の世界ではないのです。

 

 ただ、困った事に、呪いのような強い念を受ける人は暴力的な人が多いのです。他者に暴力や暴言を吐いて念を受けた人が多いのは事実なのです。
 そういう人、いえ、霊魂ばかりがいる世界では、口論や暴力は日常茶飯事です。
 それが地獄のような状態を生み出しているのです。

 

 つまり、神様が地獄を作った訳ではないのです。幽体が傷つくような人達が集まった世界は、地獄のような世界になりやすい、というだけなのです。

 

 そうした世界に入ってしまった人は大変です。日々、暴力の恐怖と戦う事になります。
 幽体は死にません。どれだけ暴行されても死なないのです。ですから、暴力を振るう人に終わりはないのです。
 相手が死にませんから、飽きるまで暴行するそうです。
 その苦しみは尋常の苦しみではありません。
 幽体は物質ではないので疲れません。疲労しないので、いつまで経っても暴行できるのです。
 その苦しみは想像を絶するのです。
 こんな世界に入ってはいけません。

 

7 上に入る幽体と下に入る幽体

 下の世界に入りやすい幽体は、まず、念を受けて傷ついた幽体です。
 ですが、それだけではありません。
 幽気です。
 性質の低い幽気が幽体に付着したり、幽体内部に入ってしまった場合は、幽体の性質が低くなり、活力も低下するのです。
 こうした人達も大変多いのです。

 

 性質が低い幽気というのは、下の世界にある幽気です。
 こうした幽気は本来であればこの世にはないのです。下の世界にのみあるはずなのです。
 ですが、最近はこうした低い幽気がこの世に増えました。
 それは、下の世界の霊魂がこの世に来るようになったからです。
 昔も霊魂はこの世に来ました。ですが、今は数が違うのです。霊魂の数が増えたので、下の世界から来た霊魂の幽体に付いていた低い幽気が、この世に散乱するようになったのです。
 これについては、動画や本で何回も述べています。
 ですが、初めての方の為に簡単に説明します。

 

 昔は、何かしら信仰を持つ人が大勢いました。
 ですが、現代は科学が発展して、霊魂も、神も、信じない人が増えました。そればかりか、宗教的、霊的なものを拒否する人が現れたのです。

 

 こうなると、上の世界の霊魂は嫌がられてしまいます。人間と高級霊魂の繋がりが弱くなったのです。
 一方、下の世界の霊魂はどんどんやって来ます。
 その数が増えたので、下の世界の霊魂の幽体と接触する人が増えたのです。散乱した低い幽気と接触する人も増えました。

 

 そうなると、低い幽気が付いた幽体は下の世界にしか適応できなくなります。

 つまり、現代人は昔の人よりもはるかに、下の世界に入りやすくなったのです。
 一つは念、もう一つは低い幽気です。

 

 このままでは、普通の人はほとんど、下の世界に向かいやすい幽体になってしまうのです。
 善い事をしても、心を綺麗にしても、無駄なのです。

 

 現代は競争社会です。小さい時から勉強やスポーツで競争します。ほとんど全員が念を受けるのです。

 

 現代は下に入りやすい社会になっているのです。

 

 逆に、上の世界に入る方法もはっきりしています。
 幽体を綺麗にして、幽体の不調を改善し、性質を上げる、これだけです。

 

 下の世界について知りたい方は本を読んでください。
 『霊魂の英雄』
https://www.amazon.co.jp/dp/4815033692 (アマゾンで発売中)
https://www.amazon.co.jp/dp/B0B4ZVDKG4/ (キンドルで発売中)

 

 現代の霊的な環境や状況については動画をご覧ください。

 「死後の世界Q&A – 現代人は死後、下の世界に行きやすい? -」
https://www.youtube.com/watch?v=467pYLcrsws

 「霊魂に関するQ&A - 霊的な環境はどのくらい悪いのですか? どんな影響があるのですか? -」 
https://www.youtube.com/watch?v=K5wwrvL6smQ

*水波霊魂学で言う魂は霊体の意識をも含んでいます。ですが、ここでは難しいので省略しています。

 

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