会員の皆さんの感想

会員の皆さんの感想

☆2021.03.29更新

契山館との出会い

神伝禊法の感想

神伝鎮魂法の感想

合宿の感想

支部集会に参加した感想

霊的調査を受けて

その他

 

契山館との出会い

こさんば さん

契山館との出会いは、衝撃的なものでした。

もう15年ほど前のことです。

ネットで、「死後の世界」と検索して出会いました。

「死んだらどうなるのだろう」という疑問に、なんとなくではなく、しっかりとした答えが欲しい、そういう思いで契山館HP「霊をさぐる」を読み始めました。

一週間、二週間、すみからすみまで読みつくし、それでもまだ、もっともっと求めている自分に気がつきました。

これほどに惹かれるのは、ただごとではない、これは、とんでもなくすごい出会いをしてしまったのだ、そう確信しました。

それから契山館に入会、霊的トレーニングと呼ばれる「禊法」「鎮魂法」の合宿に参加することができ、そこで、生涯の仲間との出会いもありました。

霊魂、スピリチュアル、宗教、そういったジャンルのものは、真剣になればなるほど、不安な点も出てくるものです。真偽を見極められなかったり、回りから色々と言われたりもします。

私自身の場合は、社会人としての自分が、没頭していく自分をできるだけ冷静に観察し、注意をしながら、慎重に判断していったように思います。

迷いや疑いは、誰にでもあるかもしれませんが、それを微塵も感じない、一点の曇りもない確信といえるような感覚、契山館との出会いは、まさに衝撃でした。

以来、15年以上が過ぎましたが、その確信が揺れたことは一度もありません。

それは、契山館が、人間の肉体が持つ知識や能力を超えたところに呼びかけているからではないかと思っています。

なかなか説明できない、でも確かなもの。それが、契山館を通して繋がりを持つことができた、高級霊魂と呼ばれる存在の力なのだと感じます。

今、ネットで「死後の世界」と検索すると何万ものサイトが表示されます。その中から契山館に出会うことは、それこそ奇跡といえるのでしょう。

もし、今この文章を読んでおられる方が、どのような経路であれ、契山館の扉の前に立たれているのだとしたら、それは、まぎれもなく奇跡だと思います。

そういう奇跡が、もっともっと多くの人に起こりますようにと願っています。

 

ズラアニメ さん

初めて「霊をさぐる」を見た時、面白くて無我夢中で一週間位読み漁っていました。

実際に霊魂に聞く、というスタンスの中、現代的な質問や疑問が一通り記載されていて、知的好奇心が刺激されっぱなしだったと思います。

今読んでも面白いです。

 

なおいー さん

私が《契山館》と出会うまでには、かなりの年数がかかってしまいました。

私が宗教的な世界に興味を持ち始めたのは、幼少の頃に身近な人の死を、経験したことがきっかけであったようです。

「死んだらどうなるのだろうか?」、「死後の世界はあるのか、ないのか?」などの疑問が、頭を離れなくなりました。

その根底には、死への恐怖があったような気がします。

やがて、様々な宗教書を読むようになり、いくつかの宗教団体や、その類似団体に所属して、宗教教義等を学ぶようになりました。

その結果、徐々に《霊魂》や《死後の世界》の存在が信じられるようになり、死への恐怖から解放されて、心はだいぶ楽になりました。

しかし、時々、自分自身の内面から湧き上がってくる、得体の知れないネガティブな感情を、抑えることが出来ませんでした。

私の知る限り、長年、とても熱心に宗教教義を学んでおられる方でも、同様の悩みを抱えている方は多かったようです。

すなわち、長年、学びを続けても、何度も同じ失敗を繰り返してしまって、変わったとか、進歩・向上したという実感が、なかなか得られないのです。

当時の私は、まだ学びが足りないので、もっともっと勉強しなければ、と思っていました。

しかし、これは《契山館》と出会って分かったことですが、肉体脳の表面意識で、いくら理論を覚えても、それは肉体脳内のことで、それによって、肉体と重なっている《幽体》という霊的身体に潜在している、《霊的カルマ》と呼ばれる、過去世から持ち越したネガティブな感情を、コントロールすることなど出来なかったのです。

やはり、《幽体》を鍛え、幽体の意識を変えない限り、人間は変わることが出来なかったのでした。

 

藍澤 さん

学生時代の事ですが、契山館の霊魂学を知った時、これは大変素晴らしいと思いました。そして・・・家族に力説いたしました。

「これは宗教じゃない、科学だ」と、家族に向かって一生懸命、霊魂学に語られていた内容を話しました。

しかし、それを聞かされていた兄が一言。

「俺にとってはそれも宗教だよ」

  * * * * *

死後の世界や霊魂は存在すると思うか?

私は子供の頃から存在するだろうと自然に思っていました。

日本には、自然にそう思える文化があるように思います。多くの人が、なんとなくにせよ、死後の世界や霊魂はあると思っているのではないでしょうか。

では、死後の世界についてもっと具体的に知りたいと思ったらどうすえばよいか。とりあえず各種宗教にて語られている死後の世界観を学ぶ以外方法がありません。

私も様々な宗教の様々な死後の世界観を読みました。しかし、どれも今ひとつ、子供騙しの内容が多いような気がして、納得できなかったのです。

そんな時、霊魂学に出会いました。私にとってそれは、「宗教」ではなく「科学」でした。

(※あくまで個人の感想です。契山館の主張とは異なっている部分があるかも知れません。あくまで私個人の理解の範囲の事であり、私はそう感じている/考えている、と言う事でご了承願います。)

現代の科学では証明できない事なので、信じるか信じないかという話になってしまうため、大きな括りでは宗教であるという事になるのは仕方が無いと思いますが。

自然や世界の成り立ちや法則を、あるがままの形で解き明かし説明しているのが「自然科学」であるならば。

「世界」や「自然」の範囲を、死後の世界、あるいは生まれる前の世界を含めて、考えた時、その構造やそこにある法則を説明することは、私にとっては、自然科学と何ら変わらないものと感じられたのです。

ただ、その内容は合理的・科学的でありますが、逆に、見方によってはとても理不尽で厳しいものであると思います。それ故に、現実であると感じたのです。

多くの宗教では、「悪い事をすれば死後に罰を受ける。良い事をすれば報われて天国に行く。」そのように説明されている事が多いと思います。私自身も、そうであったらどんなに良いか、と思いますが、現実の世界はそうはなっていませんよね。そのような考え方はあまり科学的な思考とは思えないのです。

霊魂学では、すべては法則に則ってなるようになるだけだと説明されている。それは、自然の法則であり、誰かの個人的な価値観に基づいて評価が変わるというものではない。

それこそが、私にとっては非常に合理的で納得の行く説明でした。

分かりやすく言うならば・・・

善行を積んでいる人は事故に合わないとか病気にならない。と言う事は、現実の世界ではないように思えると言うことです。

逆に、悪い事をしても―――警察に捕まると言う事はあるかも知れませんが―――病気になったり事故にあったりなど、何がしかの天罰が必ず下される、と言う事も、現実には起きていないように見えます。

もちろん、そのような事があると信じていらっしゃる人も中には居ると思いますが。私には、現実の世の中を見ていて、そのようにはなっているとは思えませんでした。

病気になるのは何かしら原因がある。医者は病気の原因を解明し、治療する。それは科学です。「この病気はあなたの悪行が原因です」と言う人は医者にはいないと思います。

同じく、事故に遭うのも偶然、あるいは不注意な行動を繰り返していた、時には事故に遭うように誰かに誘導されていたなどと言うケースもあるかもしれませんが、何にせよ、事故を誘発する要因が何かしらあったに違いないわけです。あとは確率の問題だと思います。

世の中を見ていると、人のために一生懸命尽くしている「善意の人」が不幸になる事がよくあります。

人を苦しめて自分だけ利益を得ているような「悪人」に天罰が下る、という事はなかなかないように思います。

そもそも、善いか悪いかは人それぞれの価値観でしかないわけですから。立場が変われば正しさも変わる。社会に出て見れば、世の中、竹を割ったように正しいか間違ってるか判定できない事も多くなります。

正しいか間違っているかもはっきりしないのに、善行を積んだかどうかで結果が変わるというのもおかしな話です。

科学=自然の法則というものは、善い人にも悪い人にも平等です。これは、死後の世界・生まれてくる前の世界も含めても、同じではないかと私には思えるのです。

合理的・科学的思考をする方には、霊魂学は納得しやすいものではないかと思います。

あくまで個人の感想ではありますが、私にとっては、霊魂学は、生まれる前、そして死んだ後の世界まで含めた、自然の法則を解き明かす「科学」なのです。

 

小魚 さん 2021.02.17更新

「入会しての思い」

そもそも入会する前の私は、霊魂にさほど興味を持っていた訳でもなく、信心深かった訳でもなく、今を楽しく生きていれば良いと思うだけの人間でした。
無信仰で、宗教など心の弱い人が入るものと考えていましたし、親戚に新興宗教に入っていると聞けば、あまり関わらないように腫物に障るように接していました。

そんな私が契山館に入会した経緯には、大きな不幸があったからでも、何かに縋りたいほどの悩みがあったからでもありませんでした。

インターネットで水波霊魂学のサイトを発見し、内容にとても興味を持ち、夢中で読み漁りました。

私が宗教を嫌っていたのは、「幸せになる」だとか「愛を持って」だとか「助け合い」だとか、そういったこの世の綺麗事ばかりで心を誤魔化し、本当に知りたいことや死についての核心については何もない、そういったところでした。

しかしこの水波霊魂学の内容はとにかく直球で、飾らず、淡々と事実を語っていると感じました。そして、いちいち唸るように納得出来るのです。
霊的な事柄について、それまでの私の常識を一変しました。

ずっと知りたかった、生まれてきた訳、人間の本当の姿、生きる目的、死後の世界、全ての答えが契山館にありました。
「これが本当に宗教なのか?真実を求める唯一の研究会ではないか?」と入会後も戸惑う事さえありました。

通信内容ばかりではありません。
霊的集会に参加したり、合宿に参加し霊的トレーニングを積み重ねることにより、自分の中の霊的神秘を目の当たりにすることもあります。

契山館は、真の宗教というものを教えていただいたところでもあります。

この会は絶対だと確信しています。

 

えんしろう さん 2021.02.17 更新

「入会」

契山館に入会した時は31才でした。

私はベビーブーム世代の生まれなので受験戦争の真っ只中でした。

そのために、大学受験に失敗し、数年の浪人の上、大学に入学したものの今で言うところのニートになりました。

思えば、高校から受験時代まで、学業は母親に言われた通りに生きており、自分の主体性が皆無でした。
引きこもりは、その反発心があったのかもしれませんが、自身だけでなく家族にも大きな負担をかけておりました。

やがて、家族への迷惑と葛藤と苦悩の日々の中、つまらない人生であっても、残りの人生はやるべきことをしてから死のうと自分自身で宣言し、25、6才の頃、社会復帰することを決意しました。

1.宗教的な道に進む
2.ヨーロッパの伝統楽器奏者になる
3.武術武芸の道を究める
4.正社員として働く

しかしながら、学歴もなく、未経験者ということで、まともに就職すらできずに苦労し、アルバイトからのスタート。

最初は、警備員、ラブホテルのゴミ掃除、秋葉原のショップ店員など、転々し、数年後、ようやく就職できるようになりましたが、その時には20代の後半に差し掛かってました。

そのころになると宣言の項目は、達成しつつありましたが、上記の1番以外はなかなか決心がつかず、時だけがどんどん流れていくだけでした。

それゆえかどうかは分かりませんが、30才を迎えるまで大晦日になると
おまえは何をしているのか?そうした疑問が常に沸き上がり、非常に焦ったものです。

時は流れました。

年は2000年となり、音楽留学の資金をため、計画を立てておりましたが、最後の宣言は常に頭にあり、自分の生きる道と何か、霊的な師を求め、インターネットを検索する毎日が続きます。

そして、最初に『大霊力』の書物に出会い、しばらくしてからHP「霊をさぐる」に巡り合って、そこで、清流会と契山館の繋がりが分かり、とても驚き、そして心がときめき、人生で大きな扉が開かれました。

それからは、HP「霊をさぐる」を読み漁る毎日でしたが、入会する第1歩が踏み出せず、半年以上経ったでしょうか、霊をさぐる掲示版に、入会したいんですが、というコメントを書き、色々な方の御力で入会申し込みをすることができました。

時は、2001年6月。

本当の意味で第2の人生を歩むことになりました。

 

神伝禊法の感想

こま さん

神伝禊法合宿へは、初伝から奥伝まで参加させて頂きました。

中でも印象に残っているのは、初めて参加した初伝の水の禊です。

それまで「修行」というもの自体に縁がなく、完全に初心者で、契山館のHPを読んだ程度の知識しかありませんでした。

そして、霊的なことへの確信も、それ程ありませんでした。

契山館のHPを読んで、真実に違いない、これ以上の理論はないだろうと思ってはいましたが、確信してはいませんでした。

なんなら、この合宿で真偽を確かめたい、というような心境で参加していました。

いざ、水の禊の合宿がはじまると、覚えることが多くて必死でした。

とりあえずプログラムをきちんとこなすことで精一杯で、指導担当の方から言われるままに作法をして、時間がどんどん過ぎてしまいました。

合宿のプログラムでは、神伝禊法以外に、神伝振魂法という行法を行いました。

神伝振魂法は、自分の表面意識とは違う意識が身体を動かして、普段意識できないような心理までをも刺激するという行法です。

私は教えて頂くままに行い、これでちゃんと行法になっているのかと自問自答するような状態でした。

そんな3日目の午後、神伝振魂法の行法を行った後に、ほんの些細なことが引き金で大泣きしてしまいました。

普段の自分は、人前で泣くなんて殆どありません。

子供の頃から、親にも涙を隠すような子供だったのに、あれ程に感情を抑えきれなくなった経験はありません。

いつもの自分と違うのは確かです。今まで押し殺していた何かが出てきたような、そんな感じでした。

私が泣きじゃくっていても、先輩方はそれほど心配されていない様子でした。

合宿では色々なことが起こるようです。安全にプログラムされているということでした。

宿泊先のホテルへ帰った後も、なかなか感情が収まらず、その夜は精神的にかなり落ち込んで就寝しました。

次の日は最後の神伝禊法・水の禊の本番でした。

その当時は、早朝、キリっとした空気が漂う河原で水の禊の本番が行われました。

詞を発し、作法を行い、水に入り、すべての作法を終えて河原へ戻った時、

すべてが流れて行ったような、不思議な感覚がありました。

それから、心の中で声がしたように感じました。

「神様はいるんだ。」と。

自分の深い意識なのか、何なのか分かりません。

それまで経験にないことで、自分の表面意識の声じゃないのは確かでした。

帰りの車の中で、自分がガラッと変わったのが分かりました。

こんなに心が晴れたことはありませんでした。

頭の中の靄が晴れたというか、重いものが取れたような、本当に生まれ変わった感覚でした。

それまでは、「死にたい」という意識が頭から離れることがなかったのですが、その日を境に、びっくりする程軽くなりました。

これは体験しないと分からないと思います。

この合宿以降、私は霊的なことを確信できるようになりました。

この合宿がなかったら、私は今、生きていないと思います。

  

こさんば さん

契山館に入会して1年すぎた夏、待望の神伝禊法初伝合宿に参加しました。

当時、神伝禊法初伝は、「水の禊」と呼ばれていました。

宿泊したホテルから近くの川まで歩いて、川辺で禊が行われたのです。

3泊4日の合宿で、初めに配っていただいたプログラムを見て驚きました。

分刻みで、課題が記されていたからです。

ついていけるかな~

けれども、指導を担当される会員の方々が、細かく気を配ってくださり、

プログラムは、淡々とした空気で進められました。

合宿初参加の会員さんが多かったこともあってか、全員が、緊張気味で、とても真面目に、礼儀正しく行動していました。

現在は、水の禊から形が変わっているかもしれませんが、

禊の行は、いつの時にも、目には見えない高級な力が、修行者の上に降りてくるそうです。

それを感じることができなくても、素直に行じることで、霊的には確実に成長しているそうです。

特に不思議体験はありませんでしたが、合宿を無事終えて解散となり、東京まで戻ってひとりでホテルに一泊し、

荷物を片付けていたとき、突然、体験したことのない感覚に見舞われました。

それは、説明しにくいのですが、何か今まで知らなかった自分の一部分が、悲しんでいるような、惜しんでいるような、

泣きたいわけではないけれど喉がつまるような、何かを求めているような、そんな感覚でした。

後ほどそのことを、先輩会員にお話しすると、それは、合宿で体験した高級な気と、世間一般に溢れる気の違いを、自分の霊的身体である「幽体」が感じて、なんとも言えない気分になったからでしょうとのことでした。日常に戻れば、自然に世間の気に馴染んでいきますと。

その時、自分ではわからなかったけれど、合宿では、あり得ないような高級な気に包まれていたんだなと、実感したのです。

合宿の現場では、他のどこにもないような、強い力が集まり、修行者は、それを受け取ることができるのです。

そして、それぞれが帰宅し、その後は、その力の流れを絶やさないよう、更に成長できるよう、家庭での禊を行います。

修行者はみな、ごくごく一般の社会人です。会社勤め、子育て、学業、そういった忙しい毎日を過ごしています。

その中で、ほんの少しの時間、霊的トレーニングを実習することで自身の霊的身体を成長させ、地上に流れる高級な力が絶えないようにと願っているのです。

世界中の人々が、小学校に入学するように霊魂学の門をくぐり、国語や算数を勉強するように霊魂学を学び、霊的トレーニングを行うことができたら、きっとこの世は、変わるんだろうな、と思います。

そして、ひとりひとりが、自分の霊的健康は自分で守る、という意識を持つことができればいいのにとも思います。

 

なおいー さん

私が《神伝禊法初伝合宿》に初参加させて頂いたのは、入会後、約1年半が経過した頃でした。

それが私にとっては、初めての合宿研修会でした。入会後、約1年半の間、私に参加資格のあった初伝合宿がなかったので、待ちに待った待望の合宿でした。

大人になってから、その時のように待ち焦がれた、ということはなかったと思います。

そして、実際の合宿は、私の期待と予想を遥かに超えた、素晴らしいものでした。

私は、《契山館》の合宿の素晴らしさと凄さと、その感動を言い表せるような言葉を、一つも持ち合わせていません。

どんな言葉を使っても、言葉にした途端に、的外れになってしまいそうで、まだ合宿に参加されたご経験のない方に、合宿について正確にお伝えする術がないことが、残念でなりません。

私は、この世において、《神伝の法》以上に価値のあるものを知りませんし、《神伝の法》の合宿研修以上に価値のある研修会を知りません。

万難を排してでも、参加するべき合宿です。

この世の中に、あの合宿会場のような空間が出現することは、奇跡としか言いようがありません。

合宿研修会には、何度参加しても、参加する度に感動が深まっていきます。

合宿研修会から帰宅すると、すぐに次の合宿が待ち遠しくなってしまいます。

 

老木 さん

昨年の9月、数年ぶりに神伝禊法の合宿に参加させていただきました。

私もすでに70代という老人の域に達し、年を追うごとに身心の老化が進むなか、合宿の参加を申し込むにしても、果たして、すべての日程をこなせるだろうか、特に記憶力の減退が著しいなかで、果たして新しい次第や作法が覚えられるだろうか、また、とんでもない失敗をして他の人に迷惑をかけるのではないだろうか、などという心配が頭をよぎり、初めは躊躇しましたが、今回は神伝禊法の初伝の形態が水から風に変わるという特別な合宿であることもあり、思い切って申し込み、幸運にも参加させていただくことができました。

前回、参加させていただいた時は、と言いましても数年前になりますが、再参加者として参加させていただきました。再参加の場合、合宿に真剣に臨む気持ちに変わりはないにしても、すでに承知している内容であるため、どうしてもどこかで気のゆるみが生じたように思います。しかし、今回は、再参加の形ですが、内容は新しいものであり、初参加と変わらないため、前回とは異なる緊張感をもって臨むことになりました。

合宿が始まって、自分の前に立ち塞がったのは、やはり、記憶力の問題でございました。若い時ならすぐに覚えられることが今の自分には難しく、ホテルに戻ってから、時間を惜しんで気力が続く限り練習をしました。しかし、それでもなかなかうまく行かず、実習の途中、必ずどこかでミスが出てしまいました。でも、最終日には何とか自分なりに安堵できる形で終えることができたように思います。

当日までは、老化に伴う困難や失敗ばかりを心配していましたが、実際に参加してみて、それが一番の問題ではないことがわかりました。

しっかりと覚え、失敗をしないことは大切なことに違いありませんが、それよりも大事なことがあったのです。それは、ひたむきさ、必死に努力しようとする真剣な気持ちです。

 身心共に衰えて何事も昔のように行かないことが、逆に、初心の時の気持ちを蘇らせてくれ、必死になれたように思います。

もちろん、それで十分であるはずもなく、反省すべきことは多々ありましたが、初参加者のような緊張感をもって臨めたことが何よりも良かったように思います。

今でも、実習中に、合宿の時にしか降り得ない、とてつもなく高貴な気に包まれているという喜びで胸が詰まり、目頭が熱くなったことが鮮明に思い出されます。

この合宿に参加させていただく前は、もうこれが最後の合宿になるのではないだろうかという思いが強かったのですが、合宿が終わって、後日、その時の感動を思い起こしておりますと、願わくば、生きている間に、もう一度参加させていただきたいという思いが湧き上がってきて仕方がございません。

それはともかくと致しまして、私にとって、もう味わうことができないのではないかと思っておりました素晴らしい体験の機会を与えて下さったことを心から感謝致したいと思います。

 ありがとうございました。

 

TO さん

私が契山館へ入会した理由が、神伝禊法の書籍を読み霊的トレーニングを受けてみたい思いから入会いたしました。そのため、最初の合宿「神伝禊法初伝合宿」には凄く期待して参加しました。私は、合宿に参加すると「霊的に目覚め特別な力が備わるのかな?どんな感じなんだろう?」と勝手に想像して気持ちが高まっていました。

そして合宿初日に感じたことは、そうした私が勝手に想像していた何か大げさに特別なことをする内容ではではなく、淡々とプログラム通り進んでいく感じで、ある意味最初想像していたのと違っていました。

そして合宿が進むにつれて神伝禊法を少しづつ理解できるようになり、改めて理にかなっているしこれは本物だ!と思いが深まり心構えも、より真剣さが増してきました。

そして最後の日の実習は一生忘れる事の出来ない日となりました。

今まで、体験したことがないなんだこの感覚は!勝手に涙が流れてくる、体が震えてる、

これが、幽体が感動しているという事なのだろうか、、、

本当に特別な4日間でした。

以上です。

 

mimi さん

はじめて参加を決めたときは、自分でできるようにならないと!と切羽詰まった思いがありました。でも何をするのが皆目分からず、ただただ不安な思いで当日を迎えました。

合宿は、 とにかく必死でした。

作法は、霊的な儀式を経て、伝授される作法です。そこに一部の狂いもあってはいけない。そうした緊張感。限られた時間の中で習得しなければいけないという切迫感・・・鬼気迫るものがありました。

さらに、私はなぜか微熱が出たり、身体の疲労感が強く、休憩してばかりでした。作法を覚えなければいけないのに、身体がついてこない・・・激しい動作をするわけでもなく、ゆったりとした時間の中で出てくる不調は、しんどいと思いました。それでも、やるしかない!そんな思いでした。

合宿中には、不思議な体験もしました。身体を包むような暖かな空気感が頭の上から、一日目は頭のあたりに。二日目はもう少し下がって肩のあたりまで暖かくなったのでした。包まれるような温かさに私は、「やっと会えたね」と言いました。守護霊と会えたんだ・・・。その真偽は不明ですが、直感的にそう思えたのでした。

同年代で友人となった同期と、お互い励ましあい、個々に頑張るのはもちろんですが、全員で協力して合宿を成功させる一体感を経て、やっと合宿が終わってみると、体がふっと軽くなったような、何か新しい感じがしたのが印象的です。

その後も何度も合宿は参加させていただきましたが、毎回、何かしら課題があるのか、必死に乗り越えるという繰り返しで、楽をして合宿が終わったということはなかったように思います。

それでも、終ってみると、「やっぱり、また来たいな。またこの環境に身を置きたいな」と思うのです。

合宿でないと出会えない高貴な存在か、霊的な何かを、自分のどこかで感じたのかもしれません。

後に、著書「指導霊」を読んで 、

[合宿では、守護霊や指導霊といった自分に近い存在以上に、もっと高貴な方々が関わり、来てくださり、私たちの霊的成長を手助けして下さっている]ということを知りました。

そして、自分が合宿で体験したことは、あながち間違いでもなかったと、確信が持てたように思います。

 

ふーみん さん

「人生が変わった禊法初伝合宿」

僕は入会した頃は、パニック障害と鬱病で、実家に引きこもっていました。

実家は南の小さな島の端で、人口が20人くらいの集落に住んでいたので、アルバイトさえ無かったです。

禊法の合宿は諦めていましたが、水波先生の本を読んでいるうちに、どうしても参加したくなりました。

1年くらいかけて親戚の手伝いなどをして、何とかお金を集め、全財産を使って参加しました。

参加した後は無一文で、鬱病で、周りに働く所も無いので、自分にとっては、もうこの合宿が最後だと思っていました。

合宿は、作法を覚える事に必死でした。

何とか1日くらいで大体は覚えられましたが、いざ本番になると、忘れたり、周りの人につられてしまったりして上手く行きませんでした。

もう最後の合宿だと思っていたので、必死に覚えて練習をしました。

禊法の本番では、始まる前から、明らかに周囲の空気が変わって凄かったです!

何が凄いのか?物質以外は見えも聞こえもしないので、肉体ではよく分かりません。

よく分かりませんが、あの衝撃や感動は、凄かったです!

圧倒的な何かを感じて、感動して泣いてしまいます。

あの感動は、今まで生きてきて味わった事がない、もの凄い感動でした!

合宿では、禊法の本番だけではなく、禊法の練習をしたり、みんなで他の修行法も行ったり、ホテルの部屋で1人で練習したり、

全ての時間が幸せでした。

もう一生みんなと一緒にココにいたい!帰りたくない!と本気で思いました。

しかし残念ながら合宿が終わってしまったので、家に帰りました。

家に帰ると、ソワソワしました。

自分の家なのに、まるで知らない国に1人で来たような、不安でソワソワして落ち着かない感じがしました。

合宿中は、高級な気や、高級な霊魂たちに囲まれた生活だったと思いますが、

合宿が終わるとイキナリ、周りは低級な気ばかりなので、自分の家でさえ、ソワソワして落ち着かないと思います。

しかし、合宿で習った禊法を行うと、少し落ち着きますし、ソワソワするのも1週間くらい経つと慣れて来ました。

家で禊法を行うと、視界が明るくなるし、スッキリして気持ちが良いです。

しかし、合宿で行った禊法と、家で自分で行う禊法は、全然違っていました。

いくら頑張っても、合宿ほどの衝撃や感動はありませんでした。

そのうち、どうしてもまたあの感動を味わいたくなりました!

また、あの場所に戻りたくなりました!

禊法初伝合宿に初めて参加して、わずか2ヶ月後には、1人で関西に引越し、アルバイトをしていました。

今までパニック障害と鬱病で、精神病院に通いながら実家に引きこもっていたのに、わずか2ヶ月には、人生が変わりました。

これだけ禊法のおかげで人生が大きく変わりましたが、

実は、変わったと気が付いたのは、禊法初伝に参加してから10年くらい経ってからでした。

それまで自分の好きなように生きて来ただけだったので、気付きませんでした。

一般的な修行などのイメージでは、自分を変える為に努力が必要だと思いますが、

神伝禊法の凄いのは、いつの間にか自分の中身が成長してくれる所です。

自分を成長させる為に努力する事は大事だと思いますが、努力している間は無理をしている状態で、中身は変わっていません。

例えば、小さな事でも直ぐに怒っていた人が反省して、怒らないように努力しても、怒りを押さえ付けているだけで、演技をしている事と同じで、中身は何も変わっていません。

でも神伝禊法なら、小さな事で直ぐに怒るような意識がいつの間にか成長するので、小さな事で怒る回数が減ります。

しかし、本人はなかなか気付きません。本人は今まで通り、怒りたい時に怒っているからです。

神伝禊法は、本人の気付かない所で人生を不幸にしていた霊的カルマを、気付かないうちに良い方向に向けてくれます。

僕はただ単に、また合宿に参加したいから関西に出てアルバイトを始めただけで、その後も、合宿に参加したいから、働いて生きて来ただけで、

自分の好きなように、自然に生きて来ただけなので、人生が変わったと気付きませんでした。

これが本物の修行法の凄さだと思います。

自分では気付かないうちに、中身がいつの間にか成長してくれます。

ぜひ、全ての人に本物の修行法を知って頂き、合宿の感動を味わって頂きたいです。

 

ゆず さん

私は幸いにもこれまでに何度となく神伝禊法合宿に参加させていただいているのですが、参加させていただく度、この世でこんな体験ができることに、毎回、新鮮な驚きと深い感動をいただいております。

神伝禊法初伝合宿に初参加させていただいた時は、人生の価値観がまるで180度変わった瞬間でした。契山館のHPに初めて出会った時も衝撃を受けましたが、実際に行をしてみますと、本当に全てが驚きの連続でした。

神伝禊法の中でも、特に初伝は、表面意識に悪影響を与えている過去世の衝動を浄化させることに特化した技法です。

肉体に悪影響を与えている重金属などを排毒させる方法をデトックスといって一時流行しましたが、神伝禊法初伝は、霊的な身体と魂をデトックスさせる技法といって差し支えないと思います。

私の場合は、他の方より霊的に質の低い過去世が山積みにあるような状態だったので、浄化させなくてはならない毒にあたるものが多すぎて、最初はその排毒作業に時間がかかりました。

しかしその状態が落ち着いてきましたら、霊的に高貴な力が届くようになったのか、私の心のずっと奥の方で、嬉しくて嬉しくて、むせび泣くような気持ちが膨れ上がってくるのを感じました。

ずっとお乳をもらえず暗闇で泣いてばかりいた赤子が、初めてお母さんに抱きしめてもらって、おっぱいを心いくまでもらったような、初めて感じる満足感で胸がはちきれんばかりになりました。

また、自分の霊的身体が力強くなっていく実感は格別なものでした。自分に幽体が本当に存在していて、しかも成長していく過程にあることに、ただ驚くばかりでした。

お恥ずかしながら私は何をやらせても失敗ばかりの不器用な人間で、入会する以前は生きる気力を全て失ってしまったような精神状態でした。

ですが神伝禊法合宿に参加させていただいているうちに、無気力で死にたいと感じていた私の中で一番強い気持ちが癒されて、気づけば何故あんなに落ち込んでいたのか、自分でもよく分からなくなっていました。

その頃、私の過去世調査をしていただいたのですが、自殺した過去世の衝動が強く浮いていたそうです。自分の心理がいかに過去世の衝動に影響を受けているか、そして衝動を浄化させることがいかに大切なのか、自分の内側が変わったことで身をもって知りました。

気力を失っていた自分ではあったけれど、落ち込んだ事で水波霊魂学に気付けたのだから、結果的には本当に良かったと今は心から思っています。もし水波霊魂学に気付かないまま人生を終えていたら、私は間違いなく地獄に向かっていたことでしょうから。

生きていれば苦しく悲しいことが多いものですし、自分を投げ出したいような心持ちで、今を生きてらっしゃる方も大勢おられると思います。

涙を流しておられる方にも、そうでない方にも、水波霊魂学の各書籍、HP、動画などをご覧いただき、神伝禊法を知っていただきたいです。

地上の師、霊媒 水波一郎師によって地上に降ろしていただいた救いの技法、神伝禊法は、文字通り「神伝」であり、神霊の力が流れる奇跡の技法です。

正しく求めさえすれば、どんな方でも必ず報われるように準備されているのですから、あとは一人一人が知るだけ、やってみるだけです。

神伝禊法とともに生きる人生には、反省の涙はあっても、絶望の涙はもうありません。

一人でも多くの方が神伝禊法合宿に参加できますようにと、本当に心より祈ってやみません。

 

神伝鎮魂法の感想

伊衛門 さん

契山館では神伝鎮魂法の合宿が定期的に行われており、一泊二日で開催されています。

私が契山館に入った理由の一つとして、実際に霊的修行法を専門的に習うことができるということがありました。

私は、「神伝鎮魂法」が何なのか、どういう行法かは全くわかっていない状態でしたが、霊的に高度で、自分を高めることができそうだということで参加しました。

一泊二日という短い期間で何をするのだろうと初めのうちは不安に思っていましたが、参加すると難しいことはありませんでした。

簡単な動作を行なえれば良く、霊的なことは何もわからない状態でも問題ありません。実際には、手を動かしたり、言葉を発したりするだけでした。

また、宗教団体の合宿というと、怖いイメージをもっていましたが、公共の会場で行うため、一般的に問題のあるようなことは行わず、危険なこともしません。

これまで修行法のようなものをしてこなかった私としては(これで良いのかな?)と不安に思いながらも、何とか神伝鎮魂法を覚えることができました。

そして、家に帰っても習った霊的修行法を行なえるのがうれしかったです。

自分次第でどんどん霊的に進歩できるのだという思いでした。

ただ、神伝鎮魂法の合宿は1回だけ参加すれば良いのではなく、初伝・次伝・中伝・奥伝と段階があり、より霊的に進歩したいのであれば、それぞれの合宿に参加する必要があります。

難しいことはわからなくても問題ありません。

神伝鎮魂法は肉の頭では理解できませんが、進んでいけば、徐々に霊的に感じるものも違ってくるのだと、今では思います。

興味のある方は、ぜひ参加してみると良いと思います。

 

こま さん

神伝鎮魂法の合宿は、神伝禊法の合宿に比べて一泊なので、とても短く感じます。

集中していないとあっという間に終わってしまい、もっと集中できたのではないかと後悔することもありました。

合宿は、人生でそう多くはない、ものすごく貴重な時間です。

私にとっては、オリンピックに参加するくらいに、人生の晴れの日なんだと感じています。

合宿を開催し指導してくださる方々を筆頭に、目に見えなくても守護霊様、指導霊様、補助霊様、更には契山館に関わる多くの高貴な霊魂方が携わって成り立っています。

関わる霊魂方が、何とか地上の人間を一人でも多く救いたいと活動して

今までどんなに苦労して、私を合宿まで連れて来てくださったのかと思うと、その苦労を無駄にしてはいけないと思うのです。

そういう訳で、参加する前はとても緊張してしまい、体調が良くないこともありました。

あぁ、情けない…。

最近は、再参加として参加させて頂く機会も増えてきたので、

初参加の時に比べてリラックスして望めるようになりました。

そんな心がけで良いのやら悪いのやら…、結局は何も分かりませんが、それでも、合宿に参加する度に、自分自身が変わって行くのは分かります。

参加しないと分からない感覚だと思います。

 

なおいー さん

《神伝鎮魂法初伝合宿》は、私が入会した 前月に行われてから、3年半以上行われる機会がありませんでした。そのため私にとっては、長期間待ちに待った待望の合宿研修会となりました。

《神伝鎮魂法》の合宿は、もう1つの《神伝の法》の体系である、《神伝禊法》の合宿よりも、期間が短いのですが、その分、内容が凝縮されていて、短期集中型の充実した研修だったと思います。

前記のように、3年半以上待ち望み続けていたためか、最後の鎮魂の実習の時には、感極まって、次から次へと、感動の大波が押し寄せ続けました。

やはり《神伝の法》の合宿が行われる空間は、《高級な霊魂・高貴な霊魂》の方々がお越しになっておられる、特別な空間なのだと思います。いやそれどころか、畏れ多いことに《神霊》が降下されているかもしれないのです。

ところで、現代の攻撃的な念が飛び交う、ストレス社会で生きている私達の《幽体》は、放っておくとボロボロに傷付いて活力を失ってしまうそうです。

そうなると、肉体の死後に《幽質界》の下層に落ちてしまうという、最悪の結果を招く危険性が高まるのです。

《神伝鎮魂法初伝》は、特に《幽体》を成長させ強化するために有効なので、合宿で習得し、実習を続けていると、《幽体》が傷付きにくくなって、死後に下層の世界に落ちる危険性が、著しく低下するそうです。

私は、《神伝鎮魂法初伝合宿》に参加する前に、《神伝禊法》の合宿に3回参加していて、日々、禊を行っていましたので、既にある程度、《幽体》が強化されていた可能性はあるでしょう。

しかし、《神伝鎮魂法初伝合宿》に参加してからは、例えて言えば、《幽体》の鎧がが厚くなり、材質の性能もアップしたような感覚がします。

おそらく、以前よりも、念の攻撃に対する防御力が向上しているのでしょう。

このように、《神伝禊法》だけではなく、《神伝鎮魂法》の合宿にも参加させて頂く機会を得て、どちらも欠かすことの出来ない、《神伝の法》の2つの体系であることを、改めて実感することが出来ました。

 

匿名 さん

神伝鎮魂法奥伝合宿の初参加が印象に残っております。

神伝禊法の中伝を伝授頂いた頃に参加させて頂く事ができました。

合宿に何度か参加させて頂くと反省点がいくつも出て参ります。

その1つに、私はどうも気を取られやすい性格のようで、合宿の、特に実習では集中力に欠けるように感じておりました。

私は普段の状態と修行の切り替えが上手ではありません。

その合宿では合宿前から、他の参加者と極力接触しない状態で居られるのならそうしたいという意識が強くなっておりました。

それでも話ができる距離に居る方に話しかけられたり、心が動く事があったとしても、冷静に振る舞い、冷静に戻る心がけを癖づける心がけをしました。

合宿のプログラムや実習では心が揺れず、とても集中できたように思います。

ただ、それが良い成果を生むのかどうかは今の私でも恥ずかしながらわかりません。心が荒れたくない、という意識はその時の私にとっては、集中に繋がっただけなのかもしれません。

指導霊方からすると理想より遠いものかもしれませんが、参加させて頂いて参りました合宿で、集中において一番印象の残る合宿でした。

再参加させて頂けた時は1度目とは違い、怠けた心の自分に気づきました。

合宿の時だけ修正できるのもではなく、常日頃から心がける部分もある事に気づいた合宿でもありました。

初参加の時の方が真剣で、一生懸命なようです。再参加させて頂ける時はその都度、気持ちを改め参加させて頂こうと思います。

世界にここしかないというような空間で、一個性の私を存在させて頂け、窮めて行こうとする事ができる経験は水波先生がお与えくださったもの他にありません。

求める人、誰もが経験できる時が訪れてほしいと思 います。

ゆず さん

神伝鎮魂法合宿は一泊二日で行われるので、多くの方が参加しやすい合宿だと思います。

たった二日のことなのですが、終了し自宅に戻ってくると、本当にそんな短い間に起こったことなのだろうかと、はるか彼方まで旅してきたような不思議な気持ちになります。

神伝鎮魂法の合宿に参加させていただきますと、霊的に高貴な力に包まれて、自分から芽が出て、すくすく大きく育っていくような感覚がいたします。

自分の奥深く、自分では把握できない先まで霊的な光が届いて、強く刺激を受けているような、大変不思議な感覚もいたします。

私の言葉ではとても表現できるものではありませんが、神伝鎮魂法は、今世と死後の世界を生きる人間にとって、最も大切な、霊的身体と意識の成長を与えてくださいます。

合宿中に経験したことが私を強く支えてくれて、自宅に戻ってからの日常生活においても、以前よりずっと気持ちが安定して過ごせている実感があります。

自分という魂はこの世の自分が理解できるほど小さいものでは全くないそうです。普段自分が自分だと感じられている部分は本当にごくわずかなのだと合宿で実感させていただきました。

それに比べますと、日常で感じている自分の悩みなんて本当にちっぽけだと感じました。心を押しつぶしてまで悩む必要なんてないのだと心から思うようになりました。

私はこれからもずっとこの技法とともに人生を歩んでいきたいですし、多くの方にこの技法の存在を知っていただきたいです。

 

合宿の感想

ロォ・ロゥさん

初めて合宿に参加した時はどんな感じなんだろうと、何もかもわからず不安でした。ですがプログラムにそって進んでいき、次第を学びいざやってみると、私の中で衝撃というか感動のようなものがこみ上げてきました。とても不思議な感覚でした。

合宿が終わり来てよかった、やってよかったと心から思えました。

 

支部集会に参加した感想

こさんば さん

契山館の支部集会は、1-2か月に1度くらいの間隔で開催されているようですが、全国のそれぞれの集会は、それぞれに違う味があると伺っています。

私は、住んでいるところが離れているので、なかなか支部集会に参加することができないのですが、何年か前に出席させていただいた集会は、貸し会議室に集まった20人前後の会員さんが、霊魂学の勉強や質問、体験談、提案などを、気さくな雰囲気の中で行うという形式でした。

どの集会でも必ず最初に行われるのは、全員で行う瞑目です。

目には見えず、はっきりと肌で感じるものでもないので、パッと見たところ、普通の勉強会のように思えるのですが、実は、それぞれの集会の場には、高級な霊魂方が流す高級な気が溢れているそうです。

参加する人が、日常ではなかなか遭遇しないような高級な気を、集会に参加することで吸収できるということが、集会の最大の魅力です。

修行はひとりでもできるのですが、修行者が集まるということの大切さが、そういうところにあるのだと思います。

契山館の会員の方々は、年齢も職業も居住地も、さまざまですが、みなさん、真面目だなあというのが、第一印象でした。

霊的な修行、霊的トレーニング自体、神霊という存在と、神霊に連なる大勢の霊的存在を意識して、力を流して頂くという仕組みなので、礼儀というものが重んじられています。

そういうところから、皆さん、霊魂学に向かう姿勢が、真面目なのだろうなと感じます。

2020年はコロナ禍で、集会もキャンセルが続きましたが、将来的には、もっと頻繁に、もっといろんなところで集会が開かれるように、たくさんの人が、霊魂学を学びに集まるようになるといいなと思います。

 

ロォ・ロゥ さん

支部や分会は都会にしかないので、地方に住んでいた私は行く機会がなく、参加したのは入会してから何年も経ってからでした。同じ会員として霊的な話題ができたり、話を聞いて自分を振り返ることができてとても勉強にもなるし、参加者の霊的リフレッシュもできるとあってスッキリした感じで帰っています。

 

こま さん

私は、東京支部と群馬支部の支部集会へ参加しています。

今のご時世、周りは低い幽気ばかりなので、霊的にはとても悪い環境で生活していることになります。

普段の生活に慣れて、低い幽気にも気付かず生活していますが、

きっと幽体は悲鳴を上げているんじゃないかと思います。

毎月開催される支部集会は、霊的な栄養を吸収することが出来る、とても貴重な場です。

自宅で行う行法だけでは吸収できない、高貴な幽気に触れることもできるのです。

貴重な機会を無駄にしたくない、という気持ちでいつも参加しています。

支部集会に参加すると、霊的な栄養を頂けるからか、とっても元気になります!

朝起きて肌や髪の毛の調子が良いなと思うと、昨日は支部集会だった、なんて日が多いので不思議です。

支部集会は、肉体と幽体、どちらの体調管理にも欠かせなくなっています。

それだけではなく、参加する方たちと霊的な話題を共有することも大切だと感じています。

会社の中では、霊的なこと、契山館のことを話せる友人はまだいません。

自分が一番大切にしていることを話せないで周りに合わせる生活では、

モヤモヤが溜まりますし、霊的なことから気持ちがだんだん遠ざかってしまう気がします。

支部集会では、同じ心境の人もいれば、経験豊富な先輩もいます。

溜まったものを吐き出したり、霊的な活動で活躍している先輩を見て学んで、

自分の進むべき道を考えることもできます。

まだ参加したことがない方は、とりあえず一歩、気軽に支部集会に参加してみたら、何かが変わると思います。

 

なおいー さん

私は《契山館》に入会した数週間後に、初めて《支部・分会集会》に参加させて頂きました。

それは、ある分会の集会だったのですが、「どんな雰囲気なのだろう?」、「どんな人達が集っているのだろう?」と、かなり緊張して入室した記憶があります。

受付で会員証を提示しながら、初参加である旨を申し出ると、笑顔で歓迎して下さったので、私はすぐに緊張が解けてリラックスすることが出来ました。

着席を勧められると、担当の先輩会員の方が、集会での作法や、注意事項などについて、親切に教えて下さいました。

会場の雰囲気は、厳粛さはあっても、とても清々しく、居心地の良いもので、目には見えないものの、《高級な霊魂》の方々が、確かにお越しになっておられる、という実感がヒシヒシと伝わってきます。

「ここには、私が他の宗教施設やパワースポットなどで、いくら求めても、決して得ることが出来なかったものがある。本当にここに集えて良かった」との感動に包まれたのです。

参加されていたのは、真面目で礼と社会常識を重んじる、普通の方々でした。

この日から、《支部・分会集会》に参加することが私の生き甲斐となり、毎月、2~3箇所の集会に参加していた時期もあります。

現在は(2020年12月記)、仕事の都合などで、毎月1箇所の《支部集会》に参加するのみですが、日々の自宅での《霊的トレーニング》では、接することの出来ないレベルの、《高級な幽気》や《霊気》と接し、吸収させて頂ける貴重な機会になっています。

2020年は、3月から5月にかけては、コロナ・ウイルスの感染拡大の影響で、《支部集会》が中止になってしまいました。

3ヶ月間もの間、《支部集会》に参加出来なくなってみて、定期的に《高級な幽気》や《霊気》と接することが、人間にとって、いかに大切なことであるのか、改めて実感することが出来ました。

これからも、毎月の《支部・分会集会》を、私自身の霊的身体を成長させるための、貴重な機会とさせて頂くと共に、地域の霊的環境を、少しでも改善させるための、お役に立ちたいと思っています。

 

mimi さん

霊的集会に積極的に参加するようになったのは、その場に参加していないと、共有できない空気感がある、と思ったからです。

「その、そこの場の空気を吸いたいから出かけているんだ」と体調が思わしくないのにわざわざ出かけようとする私を、訝しげる友人に言ったこともあります。

今は、支部集会や分会集会が主ですが、かつて「空気を吸いたい」と言っていたのは、今思えば、見ることはできませんが、たぶん、「幽気」という空気に重なっている霊的な気を私は欲していたのだろう、と思います。

会を求めている、神霊といった高貴な存在を求めている、同じ方向性を向き、価値観を共有できる空間は貴重です。

支部集会や分会集会では、社会での役職や年齢を超えて、「水波霊魂学」を学んでいる仲間に会える、ということが嬉しく思います。

それは、どうしても普段の生活の中で、こうした「霊的な話」「霊魂のこと」ようなな部類の話は拒否されることが多く、話すことは憚られてしまうからです。

でも、支部や分会では、先入観を持たれることなく、自分が好きな話ができます。日々のストレスが癒されるように思います。

ここに集うのは、表立って霊的な問題がある人ばかりではありません。普通に生き、普通に生活をしている、男女、さまざま・・老いも若きも。会社員、主婦、学生・・・ バックグラウンドも違う、 さまざまの年代の方々との交流の中で、日々の生活の知恵を拝借したりできます。

そして、霊的に向上したいという探求心を持つ仲間に刺激をうけます。一人では、忙しさという理由をつけて怠けがちになりますが、こうした仲間がいる限り、切磋琢磨し、頑張れるようにも思います。

 

あんみん さん

私は現在、月一回開催されます大阪支部集会によく参加させていただいております。

支部集会では、そこに集まる方々と共に「瞑目・勉強会・座談会」の三部を行ないます。

参加することで、霊的にリフレッシュ出来るプログラムになっているそうです。

実際、集会に参加することで、私の中の何かが満たされるような気がします。

集会に行けない時には、なんとなく物足りなさを感じてしまいます。

これまでの集会を改めて振り返りますと、プログラムはいつも同じでも、毎回違う気付きや刺激があったように思います。

集会には様々な年代の方がいらっしゃって、共に過ごすことで色々な視点からのお話を聞けるので、自然な形で勉強させていただいています。

自分一人では得られない良好な霊的空間の中で、自分一人では思い付かないようなお話を聞けることに、とても感謝しています。

それでも、まだ参加人数が少ないので、もっと一緒に参加する人が増えて欲しいと願っています。

 

ゆず さん

支部集会は私の生活に欠かすことのできないとても大切な場です。

私が住んでいる場所には最寄りの支部がないので、いつも他県の支部に伺わせていただいているのですが、距離があるので伺うのが少し辛い時もあります。ですが参加させていただくと、集会が終了する頃には足取りも心も軽く帰宅できることに、いつも大変幸せを感じております。

支部集会では毎回、霊的に高級な気を降ろし、それを全員で吸収する瞑想の技法があります。神伝禊法などの霊的トレーニングは、自宅で個人の都合に合わせて霊的身体を鍛える訓練ができるので、大変有難く日々行わせていただいておりますが、支部集会では先輩会員とともに高級な気を求めるので、普段自分が接することのできない気を吸収できる、大変貴重な場です。

慌ただしい毎日を過ごしておりますと、どうしても低い幽気の影響を受けてしまう場合もあります。しかし、支部集会ではそういった霊的に低い影響をリフレッシュすることができます。

普段自宅で霊的トレーニングをしている時には感じられない、力強い流れのようなもので自分が強く清められていくのを感じます。

又、続いての勉強会では、契山館の各書籍や会報などをテキストにして、会員が講師となり、皆で水波霊魂学について学びます。

既に何度か読んでいる内容であったとしても、皆で読み合わせたり感想を話し合いますと、自分では見過ごしてしまった部分に非常に深い意図があると気付かせていただくことがよくあります。また、自分なりに感想を述べてみますと、頭の中が整理されて新しい気づきをいただいたりして、いつも大変勉強になる時間です。

最後の座談会では、日常のささいな疑問や、霊的な話題を真剣に、時に楽しく笑いながら、皆でおしゃべりしています。宗教的な内容が嫌がられるご時世ですし、心おきなく霊的な話を仲間と語り合えるこの場を、とても貴重に感じています。

特に水波霊魂学初心者の方にとっては、先輩の経験談やお話を直接聞けますので、参考になると思います。

 

霊的調査を受けて

ロォ・ロゥ さん

過去世調査は合宿が終わったあとなどに何回か申し込みました。辛い過去の一生を読んで、とてもかわいそうに思いました。また今の自分に似ていると思いました。日常で気をつけることや、禊をすればこうした過去の心情を和らげることができるとのことで、意識して生活しています。

 

こさんば さん

契山館の会員に対して行われる霊的調査には何種類かありますが、

入会当初、私は、「過去世調査」にとても興味がありました。

自分の知らない過去の人生が、どういうものだったのか知りたかったのです。

かっこいい過去世があったかな、もっとロマンチックな人生があったかな、あるいは、今ある問題の原因って何だったんだろうとか。

その頃は、世間で持たれている「前世」のイメージが強かったのでしょう。

昔、王様で農民を苦しめたから、今回は、貧しい農民なんだとか、

昔、人のために命をかけて戦ったから、今回は、たくさんの人に助けられるんだとか、そういうカルマの原因とも言われるようなイメージです。

霊魂学は、奥深くて、たやすく学べることはありませんが、過去世と今の人生の関係や影響、カルマ、再生、

そういう難しいテーマに関しても、それまでとは全く違う観念を学ぶことができます。

霊魂学を学ぶことと並行して、過去世のことや霊的状態について知ることができると、今後、どういうことに気をつけようとか、どう対処しようかという、判断や決断の助けにもなります。

ドラマティックな過去世は恐らくない・・でしょうが、謙虚に自分のことを見直すチャンスがたくさんあります。

でも、テレビでやっているような霊視や霊媒現象とは違い、実際の霊的調査は、とても複雑で困難だということも知りましたので、軽い気持ちでお願いしようとは思わなくなりました。

真剣に、自分自身を知り、高級な霊魂の助けを求めて、成長しようという思いがあって初めて、調査の効力が発揮されるのだと思います。

余談ですが、興味津々の私が何度もお願いしてしまった過去世の中で、結婚を経験したものは一度もありませんでした。

そして今回も独身でいきそうです。これは、果たして何か意味があるのかどうか、それはまだわかっていません。

 

すずらん さん

もう随分と前のことになりますが、私が初めて霊的調査を受けたのは契山館に入会して間もなくのことでした。

 その頃は霊的調査とはどういうものかよく分かっていなかったと思います。それ以前に、入会したばかりで集会にも参加したことがなかったので、契山館という団体がどういうものかも把握していなかったと思います。

しかし、何も知らずに入会したのではありません。

 私は以前から霊魂の存在を信じていました。その確信を得たくて宗教施設に足を運んだり、いろいろな本を読んだりしたのですが、どれも得心が行かず、霊魂などいないのではないかと思い始めた頃に契山館に出会ったのです。

 契山館のHPを熟読し、その主張に納得していましたので、霊的調査を受けること自体に不安はありませんでした。写真を送って遠隔で調査していただきましたが、それについても何の疑問も感じませんでした。とはいえ、結果が来るまでは気持ちが落ち着きませんでした。

 調査の結果は、予想に反するものでした。

 当時の私は特に厳しい状況にあるわけでもなく、深い悩みがあるわけでもなく、霊現象に悩まされているわけでもありませんでした。

多少体調に不安があって、もしかしたら霊的なことが原因なのではないか、という思いもありましたが、特に深刻ではありませんでしたので、自分の霊的な状態が知りたい、という気持ちの方が強かったと思います。

ですから良好とまではいかなくても、普通の状態ぐらいに軽く考えていました。ところが私の幽体の状態はとても悪かったのです。

 詳しい内容は割愛しますが、そのまま放っておけば悪い霊魂に寄られるか、長い間には肉体にも悪影響を及ぼすというものでした。

体調不良については霊的調査の申し込みの時に申告していましたが、霊的な因果関係の指摘はありませんでしたので、恐らくその時は霊的なこととは無関係だったのだと思います。

 幽体がそんなに悪い状態とは思っていなかったのでびっくりしましたが、対処法もありましたので安堵しました。

 それは、幽体の状態を改善する霊術というものでした。もちろん、それを受けるかどうかは任意です。私は霊的調査の内容にも納得していましたので、迷わず霊術をしていただくことにしました。

 霊術は遠隔ではなく、対面で行なっていただきました。

霊術を受けている間はただ座っているだけでした。施術者の方は直接体に触れることなく、私の方に向けて手を動かしていました。全く何も感じませんでしたので、幽体に対してどういうことをしているのか分かりませんでしたが、だいぶ時間がかかったようですので、改善するのが大変だったのだと思います。終了を告げられた時はほっとしたことを覚えています。

 肉体であれば、体調の変化に自分で気づくこともあります。病気になったら病院で治療してもらえます。ところが幽体の不調は自分では全く分かりません。もちろん、肉体でも健康診断で初めて病気が分かることもあるのですから、幽体なら尚更です。そして幽体の不調を改善してくれる信頼のおける団体はそうそうないと思います。

肉体の健康に気を使うように、幽体の状態も定期的に調査して改善しておくことが大切なのだと、霊的調査や霊魂学を通じて知ることができて本当によかったと思います。

 

こま さん

私は過去世調査をして頂いたことがあるのですが、当時の心情とあまりにも重なり、色々な面で共通点が多く、言葉にならない感動がありました。

過去世の私は室町時代、今の岐阜県に生まれて、京都へ上京した女性でした。

家族構成や父親の職業、そして上京する理由まで、自分との共通点ばかりで、これは自分自身に違いないと確信できました。

当たるのは当たり前なのですが、ここまで共通点が多いとはびっくりでした。

そして、自分自身の別の人生を見ているようで、何とも言えない不思議な気持ちになりました。

私の一番の問題は、小学生の頃から「死にたい」という希死念慮が頭から離れないことでだったのですが、

過去世調査をして頂いて、その原因がはっきりわかりました。

過去世の自分が、まだ若いうちに自殺していたからです。

京都へ上京した過去世の自分は、下働きの仕事をした後、女性に騙されて、辛い労働を強いられていたそうです。

監視されて、逃げられない状況の中で、人生に絶望して自殺したとのことでした。

私がこの世で死にたくなったきかっけは、小学生の頃に部活動の練習がハードで辛かったからでした。

練習に行くくらいなら死にたい、と思ったのです。

友達は辛い練習が嫌でも、死にたいほどは追い詰められませんでした。

嫌なら辞めればよかったからです。

でも、私はどうしてか、辞められるわけがない、と思い込んでいました。

その時は部員が少なすぎて試合にも出られない状況だし、母親に心配をかけたくなかったのです。

過去世を知って、とても腑に落ちました。

ハードな練習が嫌でたまらなかったのは、強制労働させられたていたから。

部活を辞められないと思ったことは、監視されていて逃げられないと絶望したから。

死にたいと思ったのは、自殺していたから。

結婚したり、子供を産んだり、年を取ることがまったく想像できなかったのも、

過去世でそういう経験をせず死んでいたからなのか、と自分自身の思い癖がすべて説明できるのでした。

人間って、こんなにも過去世の自分に縛られて生きているんだ、なんて不幸なんだ、と思いました。

きっと、気が付かないだけで、誰でも自分の思考を過去世によって方向付けられているに違いないのでした。

私は神伝禊法で、この過去世の霊的カルマを軽くすることができたので、今も生きられています。

神伝禊法を行っていなければ、私は過去世の自分の思いに引っ張られ、自殺していたに違いありません。

契山館に出会えたことは、過去世での自殺や、この世での辛かった経験があってこそです。

今では必要な良い経験だったと思えます。

 

伊衛門 さん

霊的調査とは、契山館の主宰者である水波一郎師が直接指導霊魂団を指示し、調査した結果を聞いて、それを教えてもらえるものです。

調査は、水波師に会わずに、遠隔で行われます。(霊的なことに物理的空間はあまり関係ないようです。)

私は契山館に入会して早速、霊的調査を依頼しました。

依頼した際、良い結果が返ってくることを無意識的に期待していました。「幽体は健全だ」とか「高貴な意識がある」等の回答が返ってくるものだと思っていました。

これまで生きてきて、誰かにひどく恨まれるようなことをした覚えがないし、法的に裁かれるようなこともしてないと思っていたためです。

しかし、霊的な現実はそんなこととは無関係です。実際に返ってきたのは厳しい内容でした。はじめ回答を読んだときは、「なぜ?これは本当に私の霊的調査なのか?」と思いました。なぜに自分の幽体はこんなにひどい状態なのかショックでした。しかし、読み返すうちに徐々に心当たりのある出来事が思い浮かびました。そして、これまでの人生で経験した出来事やその時に感じたものがどんどん思い出され、「確かに霊的調査に書かれている内容は私のことを言っている…」と確信し、「確かに昔から私は大した人間ではなかったな。」とその時に感じました。

自分がどれほど立派かなのではなく、どれほど未熟なのか思い知らされた瞬間でした。

霊的調査はその人の霊的な真実を教えてくれます。

真実は耳に痛いものですが、確かに「真実」なのです。

臭いものにはふたをするのが普通だと思います。つらい真実も同様で、そむけたくなる気持ちはありますが、そこから一歩一歩進んでいけば良いのだと思いました。

最後に、霊的なことは物質の頭で考えてもわかりません。

つまり、霊的調査は自分が思っていることと全く違う結果が返ってくる可能性もあります。

ただ、しっかり読み返せば、自分の進むべき方向が見えてくると思います。

 

なおいー さん

私が最初に《霊査、霊術》を受けたのは、《契山館》に入会した直後のことでした。

その時にお願いした《霊査》は、《守護霊調査》《指導霊調査》《過去世調査》《霊的状態等の調査》の4種でした。

そして、《霊的状態等の調査》の結果により、2種類の《霊術》を受けました。

いずれも、契山館本部宛に、私自身の画像をeメールに添付して送付し、遠隔にて行って頂きました。

(1)《守護霊調査》と《指導霊調査》

《守護霊調査》と《指導霊調査》は、《守護霊》《指導霊》、それぞれの方が、物質界

で生きておられた時の、人生の概要と、それぞれの方からのメッセージで成り立っていました。

それぞれの方の具体的な人生については、公表を控えさせて頂きますが、一部、私の今回の人生と似たところがあって驚きました。

メッセージからは、どちらからも霊的な真実を、この世の人に伝えたい、という強い思いが伝わってきました。

きっと、お二方とも、この機会を、何百年も待っておられたのだと思います。

そして、この世を変えるには、私達この世の人間が動かなければならない、という事に、改めて気付かされました。

何とか、今後の人生で、《守護霊》《指導霊》お二方の思いに応えなければ、との思いがこみ上げてきました。

(2)《過去世調査》

やはり具体的な内容は控えさせて頂きますが、〈何回もある過去世の中で、より知っておくべき過去世について〉、というだけあって、その過去世では、かなり辛い人生を送ったようです。

何百年も前の事なのですが、その時の辛い思いは、確かに私の《幽体》の意識の中に潜在して残っていて、何かきっかけがあると、浮き出てきて、肉体脳を使用している意識をも、支配してしまうようでした。

こういう心理を《霊的カルマ》と言うのだそうですが、《神伝禊法》を実習するようになって、随分、スッキリしたと思います。そして今も、日々、改善されつつある、という実感があります。

(3)《霊的状態等の調査》と《霊術》

現代は霊的な環境が、とても悪いので、《神伝の法》等で特別な対策をしていない《幽体》が、健全であることは、ほとんどないそうです。

ですから、当然のことながら、私の入会直後の《幽体》も、2つの問題を抱えていました。

そこで2種類の《霊術》をお願いし、《幽体》の状態を改善して頂きました。

その結果、私の《幽体》の問題は解消し、《幽体オーラ》が、全身から均等に出るようになったそうです。

《霊術》を行って頂いていたと思われる頃には、何かが身体の内部で流動しているような、それまでに感じたことのない不思議な感覚がありました。

その体験によって、人間には確かに、普段意識している肉体とは別の身体がある、との実感を得ることが出来ました。

もっとも、そのような感覚があるかないかによって、《霊術》の成果に違いがある、ということではないようです。

(4)その後のこと

その後は、《神伝の法》の《霊的トレーニング》を始めるまでは半年に一回、その後は1年に一回程度、《霊的状態等の調査》を受けています。

入会して1年後の調査では、再び《幽体》が不健全になっていて、やはり、2種類の《霊術》で、対処して頂きました。

自分自身で《神伝の法》の《霊的トレーニング》を行えるようになってからは、《幽体》の状態など、霊的には問題のない状況が続いているようです。

 

mimi さん

家族が霊的な問題に巻き込まれているようだったので、そのことの相談のつもりで、初めて霊的集会に参加したことがあります。昔は、その集会の中で公開で霊的調査が人数限定で行われていました。

私が忘れていた過去のこと、予期しない事、幽体の状態がとても悪いということを指摘、霊術を受けたように思います。

まったく、霊的な予備知識のない私は、ちんぷんかんぷんでしたが、終了後に会員の方が、基本的な「気」の説明をしてくださったのですが、それでも頭に入ってこない感じで、ふ~ん?という感じでした。

次に、少し特殊な事情があり霊的調査を受けた時、非常に厳しいものでした。自分の一家が邪悪な霊魂団から狙われているというような、とんでもない指摘があり、その怖さに私は泣きだし(こんなに怖いことってあるんだろうか?霊的な事は、この世の事情よりも、もっと容赦ない?!)茫然としてしまいました。

とりあえず、今できる急場の対処法を教えていただいたものの、あとは自分次第と・・・

会員の方から、先生の言葉について解説してもらい、「このままじゃ、いけないよ。今日は先生がなんとか対処して下さったけれども、会に繋がっていかないと、もうどうしようもないよ」と後押しをされ、入会を決意しました。

酷い霊的調査でしたが、そして心の声は、「ああ、本当の事を言ってくれている」という確信と、「これが真なり」と思いました。

人はとかく、本当の事なんて言いたがらない。それなのにあえて言うってことは、本当に私の事を思ってくれているんだ、という感謝の念が大きかったのです。

そして、私は、それまでほとんど病気をしたことはなかったので、元気な体であるし、人生であまり躓いたこともなかったので、ここまでコテンパンに、「私の身体も環境もひどい状態である」と言われて、初めて自分の置かれている状況のヤバさに気が付いたと思います。

私にとっては、この時の霊的調査というものがターニングポイントでした。

 

ゆず さん

霊的調査をお願いしますと、各人の悩み事に対し、会・自分の守護・指導霊方から霊的なアドバイスを頂戴できます。

生活上の悩みに対してどう対処すればいいのか分からず苦しんでいる時、会からいただくお言葉は、いつも本当に未来を開いてくださる、絶妙なアドバイスなのです。

どのアドバイスも全て、対象者の個性、過去世やこれから影響を与える可能性の高い衝動など、先の先まで読み、未来を予測してくださって初めて成り立つご回答ばかりです。

本人に無理を強いる内容はなく、少し腕を伸ばす努力をしないと届かない範囲でアドバイスをくださっているように、私は感じております。

初心の頃、水波霊魂学の知識が足りないために、初見では意味が分からない内容をいただいたこともありました。

ですが、その時は分からなくても、しばらく時間をおいてから改めて結果を振り返ると、全部が全部、回答の通りで、事実しか書いていない事に驚きました。

入会当初は、一度もお会いしたことのない水波一郎師が、なぜ私の心の内を理解されておられるのか、本当に驚きました。

私のことを私よりも詳しく知っている存在、守護霊、指導霊がいらっしゃらなくては絶対にありえないと感じる内容ばかりなので、私も含めて、大勢の方が霊的調査の結果をいただいたことで、水波霊魂学の正しさを確信するに至ったとおっしゃっています。

当会からのご指導、特に霊的調査のお言葉があることでどれだけ心を支えられてきたか、本当に有難い思いでいっぱいです。

霊的な世界は、肉体の身の私たちが進むには分からない事の多い世界ですので、頂いた霊的調査のお言葉や注意事項を守ることが、霊的トレーニングで成果を出すために最も大切なことであると実感しております。

 

えんしろう さん 2021.03.29更新

公開霊査について、少し感想を述べさせていただきます。

入会してから、
守護霊調査、過去世調査、霊査、霊的アドバンス、霊相談を
時々に応じて、受けさせていただきました。

内、公開霊査については、計6回でしょうか。
そのたびに、いつも大切なことをご指摘いただき、
ただただ感謝しております。

公開霊査は、
内容も、自身の霊的状態だけでなく、仕事や家族や人間関係が
大きく変化したためか、都度、難しいこと、御厳しいこと、様々でした。

守護霊、指導霊からの言葉も大変難解で、𠮟責されることも多く、
それでも全然理解できず、毎回悩むことがありましたが、
大切なことをお伝えいただき、時が流れた今でも、
一つ一つの言葉が、人生の宝物となってます。

ある公開霊査では、師が一番大切なことを話され時、
声のトーンとても強い力に変わり、ただ圧倒される波が響いてきました。
そのとき、師と高貴な存在が重なり、顔をあげることができませんでした。

人はいずれ100年も経てば誰しも他界します。
そして、幽体の一部が再生し、別の肉体で人生が開始されます。

その何度もある人生で、高貴な師にこうした霊的な言葉を
ご指摘いただけることは、奇跡とも言えることです。

その大変貴重な言葉をかみしめがら、
今後の霊的な活動に生かしていきたいと願ってます。

ありがとうございました。

 

その他

エイ さん 2021.03.29更新

小学生低学年の頃にケガをした時のお話です。
学校で遊んでいる途中に、腕を骨折してしまいました。病院で処置をしてもらい、三角巾で腕を吊るして生活する事になりました。
翌朝、いつものように学校に登校すると、通路を挟んだ隣の席の男の子も、片腕を骨折して来ていました。中学生の頃には、私とは別の組で同じ組の3人が、同じ日に、それぞれ違う場所で足にケガを負い、松葉杖で登校して来た事がありました。

これらは、偶然が重なっただけかもしれません。ですが、水波霊魂学を学んで参りますと、霊的な要因も可能性として説明できる事がわかります。霊的な要因が、あったかどうかは分かりませんが、霊的な対策は行なっていたほうが良いに越した事はありません。子供向けの水波先生のご著書にも、お子様にもわかりすく書かれてあります。
霊的な要因で人生が悪い方向へ行きにくい為にも、霊的な事を信じていらっしゃる方もそうでない方も、水波霊魂学を学ばれる事をおすすめ致します。